先の大戦で沖縄並びに航空戦に散華された先輩、同僚、また運命を共にした航空機材の冥福を祈ります。 沖縄翼友会
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西原支部が活動一時休止

平成28年3月29日

父兄会「にしはら」(発行・編集:比嘉 誉)平成27年12月29日(第17号)裏面

【論 壇】

集団的自衛権の行使容認が閣議決定された翌日の昨年七月二日、沖縄タイムスに「今後自分が人を殺し、殺されることになるかも知れない」と自衛隊を辞めた青年がいる、という記事が出た。自衛隊や父兄会にとっていろいろな意味で重く受け止めるべきことだったと思う。だが、父兄会では、その後の役員会で話題になることもなかった。記者がインタビューした記事で、小さな見出しではなかったから、役員全員が見落としたとは思えない。気にとめなかっただけのことであろう。防衛や自衛隊員に関する大きな動きにはもっと感心を払ってほしいものだ。

今、普天間飛行場の移設問題も我々の関心の高いところであるが、その推進についての集会等があっても、我が父兄会の役員や会員の参加を殆んど見たことがない。県内の新聞は普天間飛行場の移設については反対派のことしか伝えない。「普天間が移設されると、海兵隊員と接するのは我々だ。我々が受け入れると言うから良いじゃないか」という住民が辺野古には多いというが、私は沖縄の新聞でそのような記事を見たことがない。

新聞でよく見る「在日米軍基地の七五%が沖縄に集中している」にも数字のトリックがある。横田、厚木、横須賀、岩国、佐世保の米軍基地は自衛隊と共有しているとして計算に入っていないそうだ。これらを含めた計算では二二、六%だという。我々は会員に真実を知らせて声を上げてもらう必要がある。

だが、県父兄会はそれでも学習や議論の機会を持たない。以前、その年度で最も感心の高い出来事について、在沖指導官の中から最適な方を講師に迎えて毎年開いていた「防衛講演会」もなくなって久しい。他団体の講演会等への役員の参加も殆んどない。沖縄防衛局の「防衛計画の大綱」と「中期防衛力の整備計画」のセミナーにも、私が誘った西原支部の会員以外はたったの一人ということもあった。だから、「チュウキボウって何?」という人も出るのだ。

会員の学習の機会が減っただけではない。私が会長時代に定期的に発行していた「県連だより」も発行されなくなった。県父兄会に広報紙発行を促すため、当分の間と発行した本紙も満三年になるが、県父兄会には未だにその動きが見られない。このままでは、県父兄会は一般の会員から遠く離れた存在になりかねません。どうか役員の皆さん、学習と議論を大事にする地域に根ざした活動をつくり出す努力をお願いします。

辺野古大綱引き「辺野古十一班」が大活躍

八月三十日、名護市辺野古の辺野古グラウンドにおいて、「辺野古大綱引き」が開催されました。辺野古区の歴史などが掲載されている辺野古誌によれば、「稲の収穫と次年の豊穣を祈願して行われる豊年祭で、方言でツナピッケと呼称する」とされ、三年に一度の伝統行事として行われています。

当日は第三海兵隊遠征軍音楽隊による演奏が行われ、辺野古十一班のキャンプ・シュワブからも、多数の海兵隊員及び家族連れが参加し、区民らと共に勇壮な綱引きを楽しみました。辺野古区の嘉陽区長は、「本日の参加者は二千五百人にも及んで、大成功でした。辺野古十一班の協力に感謝したい」とキャンプ・シュワブの隊員に労いの言葉がありました。

区民より「綱打ち」された大綱は、参加した区民や来客、海兵隊員が無病息災を祈願し、軒先などに飾るために持ち帰りました。

(文章と写真は沖縄防衛局の広報紙「はいさい」から転載させて頂きました。)

みんなで参加しよう紙面づくり「わたしの意見、支部の活動」

胸を張って入隊できる環境づくり大事「私も入会してがんばりたい」

久しぶりに帰省して貴紙を拝見しました。古里沖縄も変ったなあ、と思いました。私が入隊した二十数年前には親戚にも、隣近所にも本土就職と言って出発したものです。私は、陸曹になれなくて当地で退職して会社員になりましたが、今では非常に後悔しています。何となく仕事に誇りが持てなくて、陸曹になる努力もしないで終わってしまいました。一緒に入隊した人の中には曹長になっている人もいます。

正社員とはいえ、待遇面から考えると彼らとかなり差があると思います。だから、あまり帰省も出来ません。自衛隊に残っている人たちが羨ましいです。待遇だけではありません。大震災の時、自衛隊の活躍を見た時は羨ましくて、後悔で眠れない程でした。今度の帰省で貴紙を拝見して、堂々とした父兄会の活動があることを知って大変嬉しく思いました。今更後悔しても始まりませんが、自分のことを環境のせいにするのは卑怯ですが、沖縄が今のような環境だったら、自分も自衛官の仕事に誇りを持ち、陸曹になる努力をしていたでしょう。

入隊する子たちが胸を張って入隊できる環境にするのは大事なことだと思います。西原町父兄会の皆様、どうか環境づくりに頑張って下さい。高二の次男が自衛官を目指しています。息子が入隊したら私も父兄会に入会したいと思います。何年先になるか分かりませんが、私は沖縄に帰ろうと思います。その節はよろしくお願いします。

(千葉市在住 北中城出身 城間)

城間様お便りありがとうございました。ご住所をお知らせ下さい。本紙をお送りします。

自衛隊に関する本紹介して

登校の時、友だちの家に行くため、いつも比嘉さんの家の前を通る中一の島袋です。塀に自衛官募集のポスターが貼られているので、いつも見ています。一度は友だちと三人でふざけて敬礼をしていたら、比嘉さんに見つかりそうになりあわてて逃げたこともあります。でも僕は自衛隊が大好きです。みんなと一緒だから、ふざけたふりをしていますが、本当は心の中では大まじめです。比嘉さんが配っている自衛官募集のチラシも熱心に見ています。

ある日、父に話を聞きに比嘉さんの家に行こうと言ったら、もう少し待て、三年生になってからでもいいだろうと言われました。それは父の言うとおりでも良いのですが、自衛隊について書かれている本があったら欲しいです。前に比嘉さんたちが作っている新聞を見たことがあります。それに紹介して配ってくれたら、僕は自分で注文して買います。よろしくお願いします。

先日の公休日に、友だちの家に遊びに行くため比嘉さんの家の前を通ったら、二回とも門の前に国旗が立てられているのを見ました。とてもきれいだと思いました。自衛官にとって国を思う気持ちはとっても大切なことだと思います。僕も家で掲揚したいと思います。全部の家に広めるために。

(幸地の中一生)

KinKids夏祭り

八月七日、金武町社会福祉協議会主催の「KinKids夏祭り」でキャンプ・ハンセンの米海兵隊員らが「英語で遊ぼうコーナー」を担当しました。その他、夏休み期間中、伊芸、屋嘉、金武、並里、中川の各区を訪問し、集会場において児童らの「英語あそび」のボランティア活動を行いました。

※最後までお読みいただきありがとうございました。

空華之塔(くげのとう)について

太平洋戦争は沖縄を天王山として終結しました。例え悲しい敗戦に終わったとは申せ、地球の半ばを覆う広大な戦域を舞台として優秀な連合軍の空軍を対手に戦い抜いた我が航空勢の健闘は国民は申すに及ばず世界の人々の・・・>>>つづき空華之塔 Okinawa yoluyukai

アクセス

沖縄県平和祈念公園内に空華之塔はあります。那覇から平和記念公園は約22kmあります。沖縄本島の最南部糸満市摩文仁ありバス、タクシーもご利用できます。・・・>>>つづき案内地図 Okinawa yoluyukai

沖縄航空史

琉球王「尚 穆」(しょうぼく)の時代36年の頃、首里士族で花火師の安里周当(あさとしゅうとう)が凧(たこ)用の飛翔体で、南風原村(はえばるそん)字津嘉山(あざつかざん)部落の自宅および付近の山野で飛行したとの逸話伝説あり。・・・>>>つづき飛び安里Photo:南風原町観光サイト
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寄付について

戦後70年が過ぎ会員の高齢化と会員数の減少に伴い、維持管理の費用もそれぞれが持ち出しという状況になっています。先の大戦で勇敢に戦った英霊の功績を後生に残したい思いでなんとか維持しいるのが現状と申せましょう。航空関係者のみならず多くの日本の方々に心よりご支援の程御願い申し上げます。 Okinawa yoluyukai