先の大戦で沖縄並びに航空戦に散華された先輩、同僚、また運命を共にした航空機材の冥福を祈ります。 沖縄翼友会
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西原支部が活動一時休止

平成28年3月29日

父兄会「にしはら」(発行・編集:比嘉 誉)平成27年12月29日(第17号)

西原支部では、十二月以降の活動を暫く休止することにした。少ない会員で最も活発な活動をしているものと自負していたが、役員の高齢化で何時かそのような時が来るとは思っていた。しかし、年度途中で突然やって来るとは思わなかった。再開については各方面の指導を仰ぎながら、役員会で話し合いたい。

支部では、例年どおり三つの活動方針の下

  1. 町内で、自衛隊が参加するイベントを開催する。
  2. 自衛官募集業務への協力(通学路等でのビラ配り)
  3. 部隊見学の実施(会員の外、高校生にも呼び掛けて)
  4. 古紙・アルミ缶回収の継続と拡大
  5. 各種講演会等への参加などの事業を計画。

自衛官募集業務への協力では、募集解禁日の七月一日に、高校生の通学路や高校の門前でビラ配りをした。配ったビラは、地本が作成したビラに支部が作成した「高校生諸君!自衛隊を進路選択の一つに加えて見ませんか」の呼びかけ文を添えたもの。八年以来行っていて、活動は順調にすべりだしていた。

ところが、八月から支部長の病気で支部の活動が困難になった。支部長の病気だけで活動が止まるなど、他の支部では考えられないことだろうが、当支部は会員全員が七十五歳以上。当然役員は全員がその年齢以上で、最高齢は八十一歳。若い会員がいない、正に「限界集落」。役員全員が健康や介護など家庭の事情を抱えながら、ぎりぎりのところで活動しているから代理は見つからないのである。

何度もSOSを発したが、何処にも届かなかった。会員の皆さん、今年度中の事業を休止させて頂きますので、ご了承ください。

(※その後協力者が申し出て来たと聞きました。HP管理者)

台湾出身戦没者慰霊碑建立安全祈願祭

十二月二十六日、台湾出身戦没者慰霊碑建立安全祈願祭が糸満市摩文仁の「空華之塔」横で行われた。慰霊碑の建立を進めているのは、一般社団法人「日本台湾平和基金会」。沖縄戦で、日本軍人として戦い戦没された台湾出身の方々の慰霊のため慰霊碑建立を進めていた同会は、「沖縄翼友会」が所有する空華之塔敷地の一部を借りて慰霊碑を建立することになった。

祈願祭には、来賓として、台湾から立法委員(国会議員)の周氏、台北駐日経済文化代表那覇分所の振国氏の他、旧日本陸軍軍属の方など四名。沖縄県から土木建築部都市計画課の宜保勝課長、沖縄翼友会から濱松昭事務局長と崎濱秀光他二名の会員が出席した。その他設計会社から三名、施工会社から二名、施主の基金会から許光輝理事長と四名の理事、一般参加者ら計二八名が出席した。

台湾は人口約二千万人、東日本大震災の時は世界中のどの国より多くの義援金二百億円を送った。最も親日国。民主党政権時、東日本大震災犠牲者追悼式典で、台湾への非礼があったと聞くが、大東亜戦争で日本軍人として戦った方々のことを忘れてはならない。

会員の皆さん、完成後は是非お参りを!場所は糸満市摩文仁沖縄平和記念公園内義烈空挺隊慰霊碑の南側「空華之塔」の横。

主張「高校生への声かけ共に活動できる方いませんか」

自衛官募集のビラ配りをするようになってから、屯して無為に時を過ごしているように見える高校生たちを見ることが多くなった。自衛官募集の説明をするため彼らにちかづくが、ついつい説教調になって「年を取ると時が経つのが早い。君たちは時の早さを感じたことはないか」などと言ってしまうことがある。そんな時、決まって彼らに言われることは「時間はたっぷりある。爺さんとは違う」である。残念ながらそのとおりである。

二十歳の若者が感じる一年と、六十歳の老人が感じる一年を比べると三対一となるそうだ。老人の三年と若者の一年は同じなのである。これは、フランスの哲学者ポール・ジャネの説で、「ジャネの法則」で知られているそうだ。「一日は長くて困るが、一年は短いよね」と言った友人の言葉を思いだす。久しぶりに町でばったり会った時のことを彼は先日と言ったので、二年前のことだよ、と言ったら、「そうか、二年になるか」と続いて彼の口から出た言葉である。

若者と老人の時の早さの感じ方に違いがあるのは分かるが、若者の時間の無駄遣いには腹立たしい思いをすることが多い、息子が高校時代に部活にのめり込んでいた頃を思い出し、ついつい声をかけてしまう。最近は、自衛官募集の話を離れて彼らと話し込むことも多くなった。息子は後に自衛官を志すようになって救われた。「やりたいことが見つからない」と言い訳をして時を無駄にしている彼らに目的意識を持たせる活動を始めたい。当支部が行なっているビラ配りと連動させて、若者たちへの接し方を共に考えてくれる役員や支部長はいないだろうか。共に考えてくれる方は連絡下さい。(比嘉 誉)

読んでほしい一冊、恵隆之介著
「いま沖縄で起きている大変なこと」

最近、我が国の防衛環境の厳しさを言う人が多いが、中には何がどのように厳しいのか、具体的に認識して言っているのだろうかと疑いたくなる人もいる。言うだけで、行動を伴う集会には全く顔を見せない人がいるからである。そのような、危機感のない人には是非読んでほしい本である。
著者は、第一章「沖縄の「反日」を徹底的に利用する中国」で中国のねらいは「沖縄のクリミア化」であり、沖縄の反日運動家たちに共通するのは「中国への親近感」だということをいろいろいな事例を挙げて説明する。

その1つに、北京大学歴史学会が主催する「琉球問題ハイレベルフォーラム」に、大田元知事や元沖縄タイムス論説委員と共に琉球民族独立総合研究学会」を設立した松島泰勝龍谷大学教授、友知政樹沖国大教授、桃原和彦同大準教授らが参加していること、参加者全員で、「琉球はかつて独立国であったが、日本によって主権を奪われたという認識を中国側と共有出来た」としていることを明らかにしている。
著者は防大卒。元海上自衛官で拓殖大学の客員教授。「天皇の艦長」、「海の武士道」、「中国が沖縄を奪う日」などの著書がある恵隆之介氏。今回は人物紹介がなかったので、図書の紹介をした。

各種実績報告

◆緊急患者空輸実績(第十五ヘリコプター隊)

平成27年12月15日現在

  • 無事故 1,521件
  • 今年度 125件 127名
  • 通算 8,812件 9,164名

◆不発弾処理実績(第101不発弾処理隊)

平成27年12月15日現在

  • 緊急処理出動回数 6,136件
  • 今年度 373件 15トン
  • 通算 35,473件 1,737トン

投稿と情報提供のお願い

本紙では皆様の投稿と情報提供をお願いしております。本紙や父兄会の活動、社会の出来事に対するご意見等何でも結構です。会員以外の方もOKです。よろしくお願いします。

裏面につづく

空華之塔(くげのとう)について

太平洋戦争は沖縄を天王山として終結しました。例え悲しい敗戦に終わったとは申せ、地球の半ばを覆う広大な戦域を舞台として優秀な連合軍の空軍を対手に戦い抜いた我が航空勢の健闘は国民は申すに及ばず世界の人々の・・・>>>つづき空華之塔 Okinawa yoluyukai

アクセス

沖縄県平和祈念公園内に空華之塔はあります。那覇から平和記念公園は約22kmあります。沖縄本島の最南部糸満市摩文仁ありバス、タクシーもご利用できます。・・・>>>つづき案内地図 Okinawa yoluyukai

沖縄航空史

琉球王「尚 穆」(しょうぼく)の時代36年の頃、首里士族で花火師の安里周当(あさとしゅうとう)が凧(たこ)用の飛翔体で、南風原村(はえばるそん)字津嘉山(あざつかざん)部落の自宅および付近の山野で飛行したとの逸話伝説あり。・・・>>>つづき飛び安里Photo:南風原町観光サイト
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寄付について

戦後70年が過ぎ会員の高齢化と会員数の減少に伴い、維持管理の費用もそれぞれが持ち出しという状況になっています。先の大戦で勇敢に戦った英霊の功績を後生に残したい思いでなんとか維持しいるのが現状と申せましょう。航空関係者のみならず多くの日本の方々に心よりご支援の程御願い申し上げます。 Okinawa yoluyukai