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零戦二二型、鹿児島鹿屋市でテスト飛行(産経新聞 2016.01.27)

元零戦パイロット「仲間は傾きゆく天を支える気持ちだった」鹿児島鹿屋市でテスト飛行、フェンス越しに歓声 産経新聞 2016.01.27

午後2時、零戦のプロペラがエンジン音とともに回り出した。操縦席には米国人パイロット、スキップ・ホルム氏(72)が乗り込む。機体は滑走路を滑らかに加速し、鹿児島の空に飛び立った。滑走路近くのフェンスに集まった、100人近い見物人から歓声が上がった。2回目の飛行では最高で、高度約1650メートルに達した。

この日飛行した零戦は、ニュージーランド在住でフライトジャケット製造・販売会社を経営する石塚政秀氏(55)が所有する。石塚氏は、2010年2月に米国人バイクレーサーから購入した後、日本国内での飛行を目指して、資金集めや、関係省庁との交渉を進めた。当初、戦後70年である昨年の実現を目指したが、安全保障関連法案の審議をめぐり、「戦争賛美の誤解を受けかねない」と複数のスポンサーが撤退し、関係省庁も消極姿勢だった。

石塚氏はようやく飛んだ零戦を見上げ「感無量だ。部品の一つ一つに日本人の勤勉さが詰まっている。飛ぶ姿を見て、今の日本人に自信を取り戻してもらいたい。この機体を、日本のいろいろな場所で飛ばしたい」と語った。

スポンサーの1人で、埼玉県在住の陸上自衛隊OB、和泉洋一郎氏(66)は「世紀の瞬間に立ち会えた。零戦は日本人の技術力が詰まったものであり、日本人が所有する零戦が飛ぶ姿をみると、感動しきりです」と涙ながらに語った。冠婚葬祭業、サンセルモ(東京)の安田幸史社長は「この感動を多くの人と分かち合いたい。飛行を一般公開してほしい」と述べた。

福岡市南区に住む、零戦の元搭乗員、池田一彦氏(91)は残念ながら鹿屋に赴くことはできなかった。それでも、零戦が旧海軍ゆかりの鹿屋を飛ぶという話を、搭乗員仲間と電話で語り合ったという。池田氏は産経新聞の取材に「零戦が鹿屋の空を飛んだ喜びを分かち合った。零戦の技術力も知ってほしいが、あの戦争において、傾きゆく天を支える気持ちで戦った仲間の思いを、若い人が知るきっかけにしてほしい。いつか日本人が操縦し、編隊で飛ぶ零戦をみたい」と語った。

さきの大戦中、日本海軍の主力戦闘機だった零式艦上戦闘機(零戦)が27日、海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)の上空を試験飛行した。  機体は1970年代、パプアニューギニアのジャングルで発見し、購入した米国人らが復元した。現在はニュージーランド在住の石塚政秀氏(54)が所有する。  石塚氏は「零戦の部品の一つ一つに日本人の勤勉さが詰まっている。日本の空を飛ぶことができ、感無量だ」と語った。
産経新聞 2016.01.27
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