先の大戦で沖縄並びに航空戦に散華された先輩、同僚、また運命を共にした航空機材の冥福を祈ります。 沖縄翼友会
HOME »» ニュースclip »» 米戦闘機71年ぶり返還で記念式典、大分・佐伯

ニュースclip

米戦闘機71年ぶり返還で記念式典、大分・佐伯(産経新聞 2016.03.06)

米戦闘機71年ぶり返還で記念式典、大分・佐伯

米海軍佐世保基地のマシュー・D・オヴィアス司令官(左)に目録を渡す西嶋佐伯市長。手前はコルセアのプロペラとエンジン、翼の一部=6日、大分県佐伯市の市平和祈年館やわらぎ 産経新聞 2016.03.06

機体は、米艦上戦闘機「F4U-1Dコルセア」。同機の編隊は、昭和20年3月18日、旧日本海軍の航空隊基地を空襲した。日本側は対空砲火で応戦し、同機は佐伯湾に撃墜された。

それから、半世紀の時が流れた。平成7年、同機の残骸を地元の戦争遺構研究グループ「歴進会」元会長、河野豊氏(65)らが海から引き揚げ、「市平和祈念館やわらぎ」で保管してきた。だが、河野氏らは戦後70年の節目を迎えたことをきっかけに、同機を米国側に寄贈し、日米関係の進展に役立ててはどうかと市に提案し、市はそれを受け入れた。

寄贈先は米ニューヨークの「イントレピッド海上航空宇宙博物館」だ。同機の母艦だった艦船を、退役後に改修して設置された。米側も同機の引き渡しを快諾し、この日の式典に臨んだ。

佐伯市の西嶋泰義市長は「両国の戦没者の犠牲の上に、今の平和、繁栄がある。戦後70年の時を越え、同機が、(墜落によって)亡くなった米少尉の遺骨代わりに祖国に返還されるのは、万感の思いだ。米国には平和の象徴として展示してもらいたい」とあいさつした。

これに対し、在福岡米国総領事館のユーリー・フェッジキフ首席領事が「日米は敵対国から、今や、揺るぎない同盟国となった。自由、民主主義、法の支配といった価値観も一致する。同機が米博物館に展示されるのは、日米友好の象徴だ」と謝辞を述べた。

産経新聞 2016.03.06

空華之塔(くげのとう)について

太平洋戦争は沖縄を天王山として終結しました。例え悲しい敗戦に終わったとは申せ、地球の半ばを覆う広大な戦域を舞台として優秀な連合軍の空軍を対手に戦い抜いた我が航空勢の健闘は国民は申すに及ばず世界の人々の・・・>>>つづき空華之塔 Okinawa yoluyukai

アクセス

沖縄県平和祈念公園内に空華之塔はあります。那覇から平和記念公園は約22kmあります。沖縄本島の最南部糸満市摩文仁ありバス、タクシーもご利用できます。・・・>>>つづき案内地図 Okinawa yoluyukai

沖縄航空史

琉球王「尚 穆」(しょうぼく)の時代36年の頃、首里士族で花火師の安里周当(あさとしゅうとう)が凧(たこ)用の飛翔体で、南風原村(はえばるそん)字津嘉山(あざつかざん)部落の自宅および付近の山野で飛行したとの逸話伝説あり。・・・>>>つづき飛び安里Photo:南風原町観光サイト
Okinawa yoluyukai

寄付について

戦後70年が過ぎ会員の高齢化と会員数の減少に伴い、維持管理の費用もそれぞれが持ち出しという状況になっています。先の大戦で勇敢に戦った英霊の功績を後生に残したい思いでなんとか維持しいるのが現状と申せましょう。航空関係者のみならず多くの日本の方々に心よりご支援の程御願い申し上げます。 Okinawa yoluyukai