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あす散る命、再会の母に言えず…沖縄沖の海に消えた「徳島白菊特攻隊」、壮絶な歴史を浪曲で語り継ぐ
産経WEST 2016.4.22

桜の下でまた会おう「徳島白菊特攻隊」天光軒満月(浪曲CD)


太平洋戦争末期に旧海軍航空基地(徳島県松茂町)に編成された「徳島白菊特攻隊」の史実を知ってほしいと、徳島市出身の浪曲師、四代目天光軒(てんこうけん)満月さん(67)=大阪市住吉区=が浪曲CD「桜の下でまた会おう『徳島白菊特攻隊』」を作った。登場人物のモデルとなった元白菊特攻隊員の田尻正人さん(93)=徳島市=は「一人でも多くの人が特攻隊のことを知っていただければ、あの世の英霊も喜んでくれるはず」と話している。(井上亨)

練習機で夜間攻撃

昭和20年2月の辞令で田尻さんが転属した旧海軍航空基地の航空隊はもともと風向きや方位を計測し、航路を誘導する偵察員を養成する訓練部隊だった。が、次第に戦況が悪化し、特攻隊を編成することになり、各地の航空隊や中国・上海の実戦部隊などから次々と操縦員が集められ、田尻さんもその1人だった。白菊特攻隊員の田尻正人さん当時白菊特攻隊員の田尻正人さん当時

当時、基地で使用していた練習機「白菊」は離陸しても車輪は引っ込まず、最高速度は零戦の半分以下の230キロ程度。戦闘機としての機能は十分でなかったが、実戦で使える飛行機が不足したため、特攻機に駆り出された。

この「白菊」の両翼に250キロ爆弾を1つずつ取り付け、隊員らは沖縄沖の米軍艦隊目がけて体当たりすることが任務とされたが、「白菊」は速度が遅いため敵に見つからないように夜間の攻撃が計画され、その訓練に明け暮れたという。

敗戦が濃厚となる中、基地から飛び立った隊員らは前線基地の串良基地(現鹿児島県鹿屋市)へ向かい、昭和20年5月24日に出撃を開始。6月25日まで計5回の出撃があり、15~25歳の56人が沖縄の海に消えた。

田尻さんの出撃は5月26日に予定されたが「天候不良で戦機を逸した」との理由で取りやめとなり、徳島に戻って訓練をやり直すことになった。そして8月16日に2回目の出撃が予定されたが、前日の15日に終戦を迎え、生き残ることができたという。海軍基地で待機する「白菊」海軍基地で待機する「白菊」

元隊員の体験をベースに曲作り

戦後生まれの満月さんは昨年9月、徳島市内で「徳島白菊特攻隊を語り継ぐ会」の山下釈道会長と出会って初めて徳島に特攻隊があったことを知り、「この史実を浪曲に残さなければいけない」との思いにかられたという。

三味線などの伴奏に合わせて演じる浪曲は、物語や登場人物の心情を歌詞にした「節(ふし)」の部分と、登場人物のせりふにあたる「啖呵(たんか)」で構成される。

物語を創作するため満月さんは田尻さんのもとへ4度訪れ、田尻さんの体験を基にイメージし、曲を完成させた。

浪曲では初めての特攻隊をテーマにした物語は、一時帰宅し両親と再会するシーンで始まる。

当時、特攻隊によっては出撃する前に家に帰ることを許された隊もあったようだが、徳島白菊特攻隊は帰ることができなかった。田尻さんは親には特攻のことは知らせず、前線基地の串良基地に向かったという。

浪曲では両親と再会後、出撃を前にした隊員の気持ちを満月さんが哀愁込めた節回しで表現する。

明日は散りゆくこの命
親には云(い)わない胸の内
それとも知らず母親の微笑む顔が
胸をうつ
今度再び生まれてきても
あなたの子供でありたいと

物語は1人の隊員が特攻機に乗って飛び立つ際に主人公の“田神正人”が「俺も後からすぐに行く」と約束するシーンに移り、出撃しないまま終戦を迎えた田神の心情も描いた。

瞼(まぶた)とじれば去来する
死んだ友の面影を
想い出さない時はない
海へ散った戦友よ
仰いだ夕空あかね色
あれほど誓った約束を
守れなかったこの俺は
いつも心で泣いている

薄れゆく史実に危惧

戦後70年の節目を迎えた昨年、元特攻隊員だった田尻さんのもとへは新聞、テレビの取材が相次ぎ、講演依頼も数多くあったが、今年に入ってからは講演依頼は全くない。

生き残った者の責務として史実を語り継ぐ田尻さんだが、「元気なうちは続けますが、戦後80年ともなると戦争体験を語る人もいなくなるのでは。75年でもどうかと思う」と、史実が薄れゆくことを危惧している。

特攻隊をテーマにした浪曲については「若い世代にはなじみの薄い分野かもしれないが、浪曲ができた意義は大きく、若い人も聞いてくれたらいくばくかの感動を持たれるのでは」と話す。

一方、大阪、徳島での活動を拠点にトルコ、ネパール、ミャンマー、カナダ、中国など世界各地を飛び回って公演を行っている満月さんは「『永遠の0』の映画化などで若い人も特攻のことは知っているようだ。公演やディナーショーなどで披露し、できるだけ多くの人に訴え続けたい」としている。

CDは1枚千円で販売。問い合わせは語り継ぐ会事務局((電)080-1009-1009)。

産経WEST 2016.4.22より

天光軒満月氏のサイトより

桜の下でまた会おう「徳島白菊特攻隊」
口演 天光軒満月
作 米澤重光
監修 田尻正人
三味線 木之本孝子
ギター 美勝勝廣
協賛 住友 茂

制作 徳島白菊特攻隊を語り継ぐ会
代表 山下釈道

お問合せ 事務局 澤内健司 080-1009-1009 天光軒満月 090-3352-5543


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戦後70年が過ぎ会員の高齢化と会員数の減少に伴い、維持管理の費用もそれぞれが持ち出しという状況になっています。先の大戦で勇敢に戦った英霊の功績を後生に残したい思いでなんとか維持しいるのが現状と申せましょう。航空関係者のみならず多くの日本の方々に心よりご支援の程御願い申し上げます。 Okinawa yoluyukai


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