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戦艦ミズーリに体当たり…零戦の主翼片、祖国に読売新聞2016年10月13日

記念式典で握手を交わすワイデンバックさん(左)と市田・第一航空群司令記念式典で握手を交わすワイデンバックさん(左)と市田・第一航空群司令

太平洋戦争時、旧海軍鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)から出撃し、米戦艦ミズーリに体当たりした零戦の主翼の一部が11日、米側から海上自衛隊鹿屋航空基地史料館(同)に寄贈された。

12日から常設展示する史料館は「平和や友好を後世に語り継ぐシンボルとして活用したい」としている。

寄贈されたのは右翼の破片で、縦横約15センチのジュラルミン製。米ホノルルの戦艦ミズーリ記念館で保管されていたが、2014年に史料館を訪れたことのある元米空軍大佐のエドウィン・ホーキンスさん(67)が「鹿屋で展示するのがふさわしい」として、寄贈するよう記念館に持ちかけた。

記念館の学芸員、マイク・ワイデンバックさん(66)などによると、零戦の操縦士は岡山県出身の石野節雄2等飛行兵曹(当時19歳)とみられるという。

史料館で開かれた記念式典には関係者約20人が出席。ワイデンバックさんから同基地の市田章・第一航空群司令に手渡された。ワイデンバックさんは「破片ではあるが、彼(死亡した特攻隊員)が約70年ぶりに祖国に戻ることになり、ほっとした。一つの記憶としてとどめてほしい」と語った。

ミズーリは、沖縄上陸作戦のために喜界島沖を航行中の1945年4月11日、右舷艦尾に零戦の特攻を受けた。機体は甲板に乗り上げて炎上。死亡した特攻隊員は、米軍により丁重に水葬されたという。(中村直人)読売新聞2016年10月13日


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戦後70年が過ぎ会員の高齢化と会員数の減少に伴い、維持管理の費用もそれぞれが持ち出しという状況になっています。先の大戦で勇敢に戦った英霊の功績を後生に残したい思いでなんとか維持しいるのが現状と申せましょう。航空関係者のみならず多くの日本の方々に心よりご支援の程御願い申し上げます。 Okinawa yoluyukai


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