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昭和39年11月1日(1964)新聞報道

■ 河辺・寺岡氏ら来島″空華之塔″除幕式に参列

あす一日行なわれる「空華之塔」の除幕式と慰霊祭に列席するため、元陸軍航空総軍司令官(元陸軍大将)河辺正三氏、 旧第三航空艦隊司令長官(元海軍中将)寺岡謹平氏、元沖縄軍航空参謀・神直道氏が三十日午後一時四十分那覇着の日航機で来島した。 空港には、琉球漁業KK・渡名喜守定社長、野村日航沖縄支長らが出迎えた。

「空華之塔」は第二次大戦で太平洋上で散った航空関係者の霊をまつった塔で本土や沖縄の元航空関係者が摩文仁の丘に建立した。 河辺氏は空港で「長年の念願がかなって感激にたえない。これで大戦で散った空の勇士たちも喜んでもらえるでしょう。 これも沖縄側の協力によるものです。」と語った。

また元沖縄軍航空参謀の神氏は「戦後二十年間も沖縄を訪ねることができず、ほんとに申しわけない。沖縄のみなさんには 戦時中世話になりましたし、まっさきにお礼にあがるべきでしたが・・・」と語り、さらに牛島中将の訓令で沖縄を脱した時、クリ舟で与論まで送ってくれた船員にぜひあいたいとその消息をさがしている。なお一行は空港からすぐに南部戦跡を巡拝した。宿泊は沖縄ホテル。

■ あす″空華之塔″除幕式 河辺元将軍ら三氏来沖

十一月一日行なわれる「空華之塔」除幕式に参列するため三十日午後二時那覇空港着の日航機で旧航空総軍司令官河辺正三氏(七七) 旧第三航空艦隊司令長官寺岡謹平氏(七四)の両元将軍、旧沖縄軍参謀神直道氏の三氏が来沖した。空港には琉球漁業社長渡名喜守定氏や旧航空関係者多数が出迎えた。

滞在は四日間、宿舎は沖縄ホテル。空港で河辺正三氏は「この大戦で散った勇士の霊を慰めるため「空華之塔」を建立した。 これには地元の関係者多数が協力て出来あがり、除幕式に参列することを心から感謝している。南方から米軍に追われて本土に渡る途中、昭和十九年九月十六日沖縄に立ち寄った。そのとき牛島中将、長参謀長らと会った。あれから二十一年ぶりの沖縄です」と語った。

第三航空艦隊司令長官だった寺岡謹平氏も「昭和二十年関東方面の航空司令官だった。そこで南九州に空軍を結集して特攻隊を沖縄に送った。昭和十九年防備状態などの視察に来沖して牛島中将と会った。戦後六年前に「海軍慰霊之塔」の除幕式に来沖してこんどは六年目の来沖です。みなさんの協力で「空華之塔」が建設されたことに感謝している」と語った。

沖縄軍の総司令官牛島中将から沖縄戦の状況を大本営に報告する任務を負ってくり舟で徳之島、奄美大島と島づたいに沖縄から脱出して大本営までたどり着いた神参謀は「くり舟で送ってくれた糸満の漁夫六人のうち五人は健在と聞いているのでぜひ会って帰りたい」と語っていた。

当時神参謀をくり舟で送ってた糸満漁夫の氏名は次のとおり。

並里仙徳(当時四一)=与那原
大城亀太郎(当時一九)
上原寛助(当時一九)=那覇市与儀三九〇
上原牛助=糸満町字糸満七九
大城善一郎(当時二九)
仲本蒲戸(当時三一)=徳之島在

リウボウ前からバス

「空華之塔」除幕式の一日は午前九時リウボウ前からバスが出る。多数の参列を希望している。

碑は、いまも東に面している。いかなる風涛にもたえ、祖国の平和と繁栄をいのるがごとく。

下記の画像は当時の原本のコピーです。※クリック拡大

 当時の新聞報道

空華之塔(くげのとう)について

太平洋戦争は沖縄を天王山として終結しました。例え悲しい敗戦に終わったとは申せ、地球の半ばを覆う広大な戦域を舞台として優秀な連合軍の空軍を対手に戦い抜いた我が航空勢の健闘は国民は申すに及ばず世界の人々の・・・>>>つづき空華之塔 Okinawa yoluyukai

アクセス

沖縄県平和祈念公園内に空華之塔はあります。那覇から平和記念公園は約22kmあります。沖縄本島の最南部糸満市摩文仁ありバス、タクシーもご利用できます。・・・>>>つづき案内地図 Okinawa yoluyukai

沖縄航空史

琉球王「尚 穆」(しょうぼく)の時代36年の頃、首里士族で花火師の安里周当(あさとしゅうとう)が凧(たこ)用の飛翔体で、南風原村(はえばるそん)字津嘉山(あざつかざん)部落の自宅および付近の山野で飛行したとの逸話伝説あり。・・・>>>つづき飛び安里Photo:南風原町観光サイト
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