航空特攻作戦の概要 連合国軍の沖縄進攻は確実な情勢となり、3月20日、大本営は沖縄防衛のための天号作戦を下令する。参加兵力は、海軍の第5航空艦隊・第1機動基地航空部隊(在九州、司令長官:宇垣纏中将。なお、海軍指揮下の陸軍雷撃隊所属の雷撃機型の四式重爆撃機「飛龍」部隊2個飛行戦隊を含む)、第5基地航空部隊(在台湾)、および第3、第10航空艦隊の一部を主体とし、陸軍の第6航空軍(在九州、司令官:菅原道大中将)と第8飛行師団(在台湾、師団長:山本健児中将)も連合艦隊司令長官の指揮下に入ることとなった。そして、特攻作戦として海軍の「菊水作戦」と陸軍の「航空総攻撃」が準備された。(菊水作戦 Wikiより) 特攻作戦には、知覧基地を始め、宮崎県の都城など九州の各地、そして当時日本が統治していた台湾など多くの基地から出撃していますが、知覧基地が本土最南端だったということもあり最も多く、全特攻戦死者1, 036名のうち、439名(中継基地となった徳之島・喜界島を含む)、全員の半数近くが知覧基地から出撃しています。(知覧平和会館からの引用) 8月15日の玉音放送以降、大分県の柳ヶ浦にある大分基地飛行場から出撃した最後の特別攻撃隊第5航空艦隊司令長官宇垣纏中将率いる22名(不時着等で5名生存、1名戦死)も加えました。 (沖縄戦史からの引用) さらなる詳細は↓ 公益財団法人 特攻隊戦没者慰霊顕彰会
県別 | 出撃基地 | 人 数 |
---|---|---|
鹿児島県 | 知覧 | 402名 |
徳之島 | ※ 14名 | |
喜界島 | ※ 23名 | |
万世 | 120名 | |
鹿屋 | 12名 | |
※ 徳之島は(知覧→徳之島)、喜界島は(知覧→喜界島) をそれぞれ経由した数。 | ||
宮崎県 | 都城東 | 73名 |
都城西 | 10名 | |
新田原 | 38名 | |
熊本県 | 健軍 | 127名 |
菊池 | 1名 | |
福岡県 | 大刀洗 | 14名 |
蓆田 | 4名 | |
大分県 | 柳ヶ浦→串良(鹿児島県) | 23名 |
山口県 | 小月 | 2名 |
沖縄県 | 沖縄 | 20名 |
石垣 | 31名 | |
宮古 | 10名 | |
台湾 | 宜蘭 | 37名 |
台中 | 31名 | |
八塊 | 32名 | |
桃園 | 15名 | |
花蓮港 | 15名 | |
竜潭 | 5名 | |
合計 | 1059名 | |
※航空機による特攻での戦死者数は、諸説あります。 |
作戦名 | 出撃作戦機 | 備 考 |
---|---|---|
「菊水一号作戦」・「第一次航空総攻撃」(4月6日 - 11日) | 海軍の作戦機は391機、陸軍は133機特攻機は海軍215機、陸軍82機特攻機の未帰還機は海軍162機、陸軍50機 | 九州と台湾の航空基地。341名が特攻により戦死した。 |
「菊水二号作戦」・「第二次航空総攻撃」(4月12日 - 15日) | 海軍の作戦機354機、陸軍の作戦機124機、うち特攻機として海軍103機、陸軍72機が出撃した。特攻機の未帰還は海軍69機、陸軍49機 | |
「菊水三号作戦」・「第三次航空総攻撃」(4月16日 - 17日) | 海軍は作戦機415機、陸軍は92機。特攻機は海軍176機、陸軍52機。特攻機の未帰還は海軍106機、陸軍51機 | |
「菊水四号作戦」・「第四次・第五次航空総攻撃」(4月21日 - 29日) | 海軍は作戦機258機、うち特攻機26機を投入。特攻機の未帰還は3機であった。陸軍も作戦機11機を投入した。 | 27日から30日海軍は再び全力を動員し、作戦機587機、うち特攻機100機を投入、特攻機59機が未帰還となった。 |
「菊水五号作戦」・「第六次航空総攻撃」(5月3日 - 9日) | valign="top">海軍は1日から4日にかけて、作戦機449機、うち特攻機160機を投入、特攻機の未帰還は65機であった。 | |
「菊水六号作戦」・「第七次航空総攻撃」(5月11日 - 14日) | 海軍は8日から11日にかけて作戦機345機、うち特攻機86機を投入、12日から15日にかけても作戦機237機、うち特攻機47機を投入した。特攻機の未帰還はあわせて95機であった。陸軍も作戦機80機、うち特攻機35機を投入した。 | |
「菊水七号作戦」・「第八次航空総攻撃」(5月24日 - 25日) | 海軍は作戦機387機、うち特攻機107機を投入。特攻機の未帰還機は32機であった。陸軍は作戦機174機、うち特攻機61機を投入した。 | 一時的にでも飛行場を制圧して防空網に隙を作るため、同じ24日には義烈空挺隊による沖縄本島の飛行場への空挺奇襲作戦(義号作戦)が実施された。 |
「菊水八号作戦」・「第九次航空総攻撃」(5月28日 - 29日) | 海軍は作戦機217機、うち特攻機51機を投入し、特攻機の未帰還機は26機。陸軍は作戦機71機、うち特攻機57機を投入した。 | |
「菊水九号作戦」・「第十次航空総攻撃」(6月3日 - 7日) | 海軍は作戦機367機、うち特攻機23機を投入し、特攻機の未帰還機は5機。陸軍は作戦機71機、うち特攻機31機を投入した。 | |
「菊水十号作戦」・「第十一次航空総攻撃」(6月21日 - 22日) | 海軍は作戦機271機、うち特攻機67機を投入し、28機の特攻機が未帰還となった。 | |
※航空機による特攻機数は、諸説あります。 |
日 時 | 出撃内容 | |
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7月28日 | 宮古島より出撃した神風特攻第三龍虎隊が駆逐艦キャラハンを撃沈(他にも駆逐艦プリチェット、カシンヤング損傷)、特攻による最後の撃沈艦となった。 | |
7月29日 | 海軍の93式中間練習機「赤とんぼ」で編成された神風特別攻撃隊「龍虎隊」による攻撃で駆逐艦キャラハンが撃沈された。これが特攻によって撃沈された最後の艦となった。 | |
8月12日夜半 | 戦艦ペンシルベニアが、鹿児島県・串良基地から出撃した第五航空艦隊指揮下の第931海軍航空隊・攻撃第251飛行隊所属の艦上攻撃機「天山」4機からなる夜間雷撃隊による夜間雷撃を受け、そのうちの1機が発射した航空魚雷1本が艦尾付近に命中して浸水・大破した。 | |
8月13日 | 喜界島から海軍第2神雷爆戦隊2機が沖縄の連合軍艦船群に突入、攻撃輸送艦ラグランジを大破、戦死21名負傷89名、特攻による最後の損傷艦、沖縄への航空特攻が終結する。8月13日、喜界島から海軍第2神雷爆戦隊2機が沖縄の連合軍艦船群に突入、攻撃輸送艦ラグランジを大破、戦死21名負傷89名、特攻による最後の損傷艦、沖縄への航空特攻が終結する。 | |
8月15日 | 菊水作戦を指揮した宇垣纏中将は、終戦の玉音放送を聴いた後に艦上爆撃機「彗星」で出撃して「最後の特攻」を行い、沖縄諸島方面で戦死した。 午後(夕刻)、宇垣纒海軍中将、計11機を指揮して大分基地から沖縄に特攻出撃。8機突入、戦果無し |
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8月19日 | 神州不滅特別攻撃隊、大虎山飛行場から谷藤徹夫少尉ら合計11名が赤峰付近に進駐し来るソ連戦車群に体当り全員自爆を遂げた。 | |
結果と影響 | 沖縄諸島周辺での特攻作戦において、海軍機は940機、陸軍機は887機が特攻を実施し、海軍では2,045名、陸軍では1,022名が特攻により戦死した。そのうち133機が命中、122機が至近弾となり、アメリカ軍の艦艇36隻を撃沈し、主力艦艇の多数を損傷させた。菊水作戦によるアメリカ軍とイギリス軍の戦死者は4,907名、負傷者は4,824名に上った。第二次世界大戦におけるアメリカ海軍の艦艇の喪失の7分の1は沖縄諸島周辺海域におけるものであり、その8割は特攻による戦果である。 | |
※航空機による特攻機数は、諸説あります。 |
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戦後70年が過ぎ会員の高齢化と会員数の減少に伴い、維持管理の費用もそれぞれが持ち出しという状況になっています。先の大戦で勇敢に戦った英霊の功績を後生に残したい思いでなんとか維持しいるのが現状と申せましょう。航空関係者のみならず多くの日本の方々に心よりご支援の程御願い申し上げます。 Okinawa yoluyukai