石垣島出身の伊舎堂用久中佐(当時24)=戦死時大尉、2階級特進=ら特攻隊員が沖縄戦の陸軍特攻第一号として石垣島白保から出撃して77年となる26日、南ぬ浜町の顕彰碑前で77回忌慰霊祭が開かれた。>>>つづき
(2022.03.27 八重山日報)
3月17日(木)、航空自衛隊は、府中基地に宇宙作戦群を新編しました。翌日基地内において新編行事を行い、防衛副大臣をはじめ、米宇宙コマンド司令官、>>>つづき
(2022.03.18 航空自衛隊)
流行や世相を反映する第一生命の「サラリーマン川柳」に、実は自衛隊員が考える「防衛省川柳」もある。今回はコロナ禍もあってか、応募総数が前回から1000句以上増え7522句になったという。今月、その中から優秀作品が決定した。>>>つづき
(2020.12.22 ABEMA NEWS)
航空自衛隊のアクロバット飛行チーム「ブルーインパルス」6機が29日昼過ぎ、東京都心で、新型コロナウイルスと戦う医師や看護師ら医療従事者に感謝の意を示すアクロバット飛行を約20分間披露した。・・・>>>つづき
(2020.5.29 産経新聞)
2700人が参加した「ダイヤモンド・プリンセス号」を始めとした、コロナ関連の災害派遣で感染者ゼロの自衛隊。自宅でもできる自衛隊式感染症予防法を紹介。・・・>>>つづき
(ENCOUNT編集部2020.4.17 )
5月14日、イスラエルの占領地ゴラン高原にある軍の歩兵部隊ギバティ旅団の宿営地で、兵役で同旅団に所属するイスラエル市民権を持つ日本人女性、清水真優軍曹(21)が時事通信の取材に応じた。・・・>>>つづき
(時事ドットコムニュース2019.8.1 )
【いまも飛ぶ大戦機】 直列、水平対向、V型といった表現は、自動車のエンジンでよく耳にする。これはピストンとシリンダーの並び方、すなわち気筒配列を表す用語なのだが、第二次大戦中の航空機エンジンでは「星型」が主流だった。・・・>>>つづき
産経新聞2019.2.27
先の大戦後、京都府舞鶴市沖の若狭湾で米軍に処分され、海底に沈んだ旧日本軍の潜水艦を調査していた浦環(うら・たまき)九州工業大特別教授らの調査チームが、対象だった3隻全ての位置と名前を特定したと7月3日、発表した。・・・>>>つづき
産経新聞2018.7.16
【ロサンゼルス=中村将】米カリフォルニア州サンバーナディーノ郡のチノ空港で11日、ロサンゼルス近郊に住む飛行教官、柳田一昭さん(66)が零戦22型の訓練飛行を成功させた。・・・>>>つづき
産経新聞2017.4.12
零戦といえば、大東亜戦争時の帝国海軍の主力戦闘機である。零戦が制式採用された1940年は皇紀2600年にあたり、下2桁の年次から「零式艦上戦闘機」の名称が与えられた。・・・>>>つづき
ZAKZAKby夕刊フジ2017.02.18
米ハワイ・真珠湾の「戦艦ミズーリ記念館」で開催されている日本の特攻隊の特別展について、資料を貸し出している「知覧特攻平和会館」(鹿児島県南九州市)とミズーリ側が、無期限展示で合意したことが26日、分かった。・・・>>>つづき
産経新聞WRST2017.1.26
第2次世界大戦中、オーストラリア北部の沖合で沈没した旧日本軍の潜水艦の乗組員を追悼する慰霊碑が、来月、北部の町ダーウィンに設置されることになりました。・・・>>>つづき
NHK1月5日
米ハワイ・ホノルルを訪問中の安倍晋三首相は27日(現地時間26日)、現地にある複数の慰霊施設を訪れては献花を行い、黙祷(もくとう)をささげた。そのうちの一つ、真珠湾攻撃で戦死した飯田房太(ふさた)中佐の記念碑は、銃火を交えた米軍側が、その勇気と献身的な姿勢をたたえて建立したものだ。・・・>>>つづき
産経新聞west2016.12.28
第二次世界大戦下、陸軍の百式重爆撃機「呑龍(どんりゅう)」パイロットとして、フィリピンのクラークフィールド基地に転戦していた中村真さん(93)に運命の日がやってくる。昭和19年12月14日、「菊水隊」と命名された陸軍特別攻撃隊二番機のパイロットに、当時21歳の中村さんは任命されたのだ。・・・>>>つづき
産経新聞west2016.12.8
「大空から複葉機が牧場に着陸し、パイロットがヒロインに郵便物を手渡すと、白いマフラーをなびかせながらさっそうと離陸していく…。格好いいなあと思いましてね」。元陸軍百式重爆撃機「呑龍(どんりゅう)」パイロット、中村真(まこと)さん(93)は、幼い頃に映画「進軍」を見て、パイロットになる決意を固めたと言う。・・・>>>つづき
産経新聞west2016.12.1
第二次世界大戦で劣勢に立たされた日本海軍は昭和19年11月、特攻用の航空機「桜花」を戦力とした特攻隊「海軍神雷部隊」を発足する。そして翌20年3月21日、「第一回神雷桜花特別攻撃隊」が出撃する。初の特攻だ。「プロペラはないし、計器も数個しか付いていない。これでどうやって飛ぶのだ?」。・・・>>>つづき
産経新聞west2016.11.15
太平洋戦争時、旧海軍鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)から出撃し、米戦艦ミズーリに体当たりした零戦の主翼の一部「零戦の操縦士が上空で風防を開けることなどないですよ」。航空映画で演出上、こんなシーンが描かれることは少なくないが、元零戦パイロットの野口剛さん(91)は苦笑しながらこう否定した。今から72年前の昭和19年11月、「海軍神雷部隊」が正式に発足した。特攻のために開発された航空機「桜花」と同機を搭載して運ぶ一式陸上攻撃機、これを掩護する零戦で編成された部隊。・・・>>>つづき
産経新聞west2016.11.9
太平洋戦争時、旧海軍鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)から出撃し、米戦艦ミズーリに体当たりした零戦の主翼の一部が11日、米側から海上自衛隊鹿屋航空基地史料館(同)に寄贈された。12日から常設展示する史料館は・・・>>>つづき
読売新聞2016年10月13日
川崎重工業(神戸市中央区)は13日、太平洋戦争中に製造した旧陸軍の戦闘機「飛燕(ひえん)」を復元し、報道関係者に公開した。同社の創立120年を記念し、15日から新港第4突堤の神戸ポートターミナルホールで展示する。・・・>>>つづき
神戸新聞NEXT2016/10/13
太平洋戦争中、旧姫路海軍航空隊の鶉野飛行場(兵庫県加西市鶉野町)から特攻隊として出撃し、戦死した隊員らを哀悼する「平和祈念祭」が2日、同飛行場跡であった。各地から遺族や自衛隊関係者ら約100人が参列した。(河尻 悟)・・・>>>つづき
神戸新聞NEXT2016/10/3
【台南=田中靖人】先の大戦末期に台湾南部の台南市で戦死し、現地で神として祭られている杉浦茂峰海軍兵曹長の神像が、杉浦氏の出身地、水戸市に“里帰り”することになり21日、台湾を出発した。戦後、地元の人々が集落を守るために命を落とした杉浦氏を悼み、落下地点に71年に廟を建設。「飛虎将軍」と呼び、・・・>>>つづき
(産経新聞2016.9.21)
太平洋戦争中に川崎航空機工業(現川崎重工業)が製造した陸軍の戦闘機「飛燕(ひえん)」を、同社の有志が修復している。当時エンジンを造っていた明石工場では、二輪車の開発担当者らが主要部品の過給機を復元した。「先人がものづくりに込めた思いや工夫の跡を感じ取りたい」と地道な作業を・・・>>>神戸新聞NEXT2016/9/21
筑前町立大刀洗平和記念館で、企画展「知られざる特攻」が開かれている。特攻といえば、航空機で敵艦に突入する海軍の作戦が知られているが、ほかにも陸海軍で様々な手法がとられた。企画展では三つの特攻部隊に焦点を当て、初公開を含む約200点の史料で今に伝えている。今回の企画展では、・・・>>>つづき
(読売新聞2016年09月06日)
「神風特攻隊」の一番機として出撃し、昭和19年10月25日にレイテ沖海戦で米護衛空母「セント・ロー」に体当たりして海に散った海軍中佐、関行男=当時(23)、大尉から戦死後に昇進=の遺品約20点が、出身地に近い松山市の陸上自衛隊松山駐屯地にひっそりと展示されている。家族らに宛てた遺書(複写)や軍服、制帽、日記、筆記道具などで、「軍神」とあがめられた中佐の“素顔”と、・・・>>>つづき
(産経新聞2016.8.26)
71回目の終戦日を迎えた。戦後70年の節目となった昨年は第二次世界大戦を題材にした映画が相次いで公開されたが、今年はもの静かだ。戦後70年というが、捕虜などになり翌年、日本に帰還した兵士にとっては今年が戦後70年ではないか。実際、そんな元軍人は少なくない。旧陸軍の二式複座戦闘機「屠龍(とりゅう)」の部隊に所属した航空技術将校、梅田春雄さん(95)はその一人。陸軍航空士官学校で学び航空部隊に配属されたが、・・・>>>つづき
(産経新聞2016.8.19)
大分県佐伯市の戦争遺構研究グループ「歴進会」が、旧日本海軍の攻撃機「九七式艦上攻撃機(九七式艦攻)」の原寸大レプリカの製作を進めている。佐伯海軍航空隊にゆかりある飛行機だ。同グループは「復元」によって、地元・佐伯に深く関係する戦争の記憶を後世に残し、理解を深めたいと思いを込める。(村上智博)・・・>>>つづき
(産経新聞2016.8.13)
1917(大正6)年創業で、戦前戦中に多くの戦闘機を産みだした航空機メーカー・中島飛行機の特別展「中島飛行機の傑作戦闘機たち」が所沢航空発祥記念館(埼玉県所沢市)で開かれている。9月4日まで。同館所蔵で、重要航空遺産に指定されている「九一式戦闘機」(実物)や・・・>>>つづき
(朝日新聞2016年7月25日)
青森県立三沢航空科学館(三沢市)は14日、2012年に十和田湖から引き揚げられ、館内で展示している旧日本陸軍の訓練用飛行機「一式双発高等練習機」が、来月2日に日本航空協会の「重要航空遺産」に認定されると発表した。全国で9件目、東北では初めての認定となる。練習機は1943年、秋田県の旧陸軍能代飛行場から青森県の八戸飛行場へ飛行中、十和田湖に着水し水没。2012年9月に湖底から69年ぶりに引き揚げられた。この練習機は45年までに1342機が生産され、現存するのは世界中で3機。認定が決まったのは、国内に唯一残る機体。・・・>>>つづき
(産経新聞2016.6.14)
鹿児島県南九州市の知覧特攻平和会館で屋外展示されている旧陸軍戦闘機「隼(はやぶさ)」(複製)の改修が、終了した。実際に稼働していた頃をほうふつとさせるような仕上がりになっている。展示中の機体は、2006年に制作された映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」の撮影用に2機が製造された。全幅10・8メートル、全長8・9メートル、全高3・2メートルの原寸大で、細部にもこだわった本物そっくり。撮影後に当時の知覧町が引き取り、1機は会館内に展示している。・・・>>>つづき
(読売新聞 2016.6.4)
第二次世界大戦で日本海軍の主力戦闘機だった零式艦上戦闘機、通称・ゼロ戦が31日、被災地の上空を慰問飛行しました。午後2時半すぎ、待ちに待った瞬間が訪れました。空撮用の飛行機2機を引き連れ、緑色の機体が空港上空を旋回。翼の下には、なんと日の丸の横にくまモンのデザインが。このゼロ戦はニュージーランド在住の会社社長・石塚政秀さんが所有する復元機体です。31日は鹿児島空港を飛び立ち、益城町などの被災地の上空を慰問飛行したあと午後3時前、熊本空港に降り立ちました。・・・>>>つづき
(TKUテレビ熊本 2016/06/01)他2媒体
「鶉野(うずらの)飛行場」(兵庫県加西市)をご存じだろうか。第二次大戦中に姫路海軍航空隊の搭乗員を養成するために建設され、多くの特攻隊員が飛び立った拠点だ。戦時中の日本の飛行場といえば、特攻基地として知られる鹿児島県の「知覧飛行場」や「鹿屋飛行場」が頭に浮かぶ人も多いかもしれない。実は鶉野飛行場も、隣接する組立工場で日本海軍が本土決戦の切り札として投入した最新鋭戦闘機「紫電改(しでんかい)」が生産された歴史的背景に加え、滑走路や防空壕(ぼうくうごう)など多くの遺構がほぼ完全な姿を留める全国でもまれな旧軍施設。戦後70年を経て戦争体験者が少なくなる中、その歴史的価値が見直されているのだ。・・・>>>つづき
(産経WEST 2016.5.24)
磐田市の郷土史家岡部英一さん(64)が、旧日本陸軍の戦闘機「飛燕」の操縦席計器盤の再現に成功した。飛燕の計器盤は現存しないとされ、当時の資料を探して10年がかりで機器を収集した。三菱航空機のジェット旅客機MRJの初飛行成功で国産航空機に注目が集まる中、岡部さんは「当時の最先端技術が詰まった日本の航空技術遺産として、計器盤を多くの人に見てほしい」と話す。・・・>>>つづき
静岡新聞 2016.5.10
桜の下でまた会おう「徳島白菊特攻隊」天光軒満月
太平洋戦争末期に旧海軍航空基地(徳島県松茂町)に編成された「徳島白菊特攻隊」の史実を知ってほしいと、徳島市出身の浪曲師、四代目天光軒(てんこうけん)満月さん(67)=大阪市住吉区=が浪曲CD「桜の下でまた会おう『徳島白菊特攻隊』」を作った。登場人物のモデルとなった元白菊特攻隊員の田尻正人さん(93)=徳島市=は「一人でも多くの人が特攻隊のことを知っていただければ、あの世の英霊も喜んでくれるはず」と話している。(井上亨)・・・>>>つづき
産経WEST 2016.4.22
機体は、米艦上戦闘機「F4U-1Dコルセア」。
先の大戦で撃墜され、大分県佐伯市が保管していた米戦闘機のエンジンやプロペラを米国に返還するため、市は6日、同市内で返還記念式典を開いた。機体は71年ぶりに里帰りし、母艦を改修した米ニューヨークの博物館で展示される。式典に出席した日米両国の関係者からは、機体が友好の架け橋となり、両国の絆が一層深まることに、期待の声があがった。(村上智博)・・・>>>つづき
産経新聞 2016.03.06
元零戦パイロット「仲間は傾きゆく天を支える気持ちだった」鹿児島鹿屋市でテスト飛行、フェンス越しに歓声
午後2時、零戦のプロペラがエンジン音とともに回り出した。操縦席には米国人パイロット、スキップ・ホルム氏(72)が乗り込む。機体は滑走路を滑らかに加速し、鹿児島の空に飛び立った。滑走路近くのフェンスに集まった、100人近い見物人から歓声が上がった。2回目の飛行では最高で、高度約1650メートルに達した。・・・>>>つづき
産経新聞 2016.01.27
特攻機「白菊」のエンジンの一部か・・・
徳島県阿波市市場町の訓練用飛行場跡地でみつかった金属片が、太平洋戦争末期に徳島から出撃した「白菊特攻隊」の特攻機「白菊」のエンジンの一部と推定された。・・・>>>つづき
読売新聞 2015.12.24
「飛燕」が里帰り 修復後、神戸で一時展示へ
平洋戦争中に岐阜県各務原市の川崎重工業岐阜工場で製造された旧日本軍の戦闘機「飛燕」が約70年ぶりに同工場に里帰りし、18日に報道陣に公開された。良好な状態で現存する世界唯一の機体で、同工場が来年秋までに修復作業を実施する。作業を担当する二宮崇さん(48)は「当時の物づくりの息づかいを後世に伝えたい」と話した。・・・>>>つづき
産経新聞 2015.09.18
沖縄戦で最初の特攻隊長(生きた証を石に刻む)RBC琉球放送
特集です。太平洋戦争当時、石垣島に陸軍特攻隊の基地があったことはご存知でしょうか。その基地に駐屯した特攻隊の隊長は地元石垣島出身の一人の青年でした。生まれ島から飛び立ち体当たり攻撃で命を落とした特攻隊員の知られざる半生を取材しました。先月15日、68年目の終戦の日に、石垣島で石碑の除幕式が行われました。沖縄戦の直前、石垣島から最初に出撃しアメリカ軍の艦船に体当たりして戦死した陸軍航空特攻隊の顕彰碑です。その特攻隊を率いていたのは、石垣島生まれで隊長の伊舎堂用久中佐でした・・・>>>つづき
RBC琉球放送 2013.09
太平洋戦争は沖縄を天王山として終結しました。例え悲しい敗戦に終わったとは申せ、地球の半ばを覆う広大な戦域を舞台として優秀な連合軍の空軍を対手に戦い抜いた我が航空勢の健闘は国民は申すに及ばず世界の人々の・・・>>>つづき Okinawa yoluyukai
沖縄県平和祈念公園内に空華之塔はあります。那覇から平和記念公園は約22kmあります。沖縄本島の最南部糸満市摩文仁ありバス、タクシーもご利用できます。・・・>>>つづき Okinawa yoluyukai
琉球王「尚 穆」(しょうぼく)の時代36年の頃、首里士族で花火師の安里周当(あさとしゅうとう)が凧(たこ)用の飛翔体で、南風原村(はえばるそん)字津嘉山(あざつかざん)部落の自宅および付近の山野で飛行したとの逸話伝説あり。・・・>>>つづきPhoto:南風原町観光サイト
Okinawa yoluyukai
戦後70年が過ぎ会員の高齢化と会員数の減少に伴い、維持管理の費用もそれぞれが持ち出しという状況になっています。先の大戦で勇敢に戦った英霊の功績を後生に残したい思いでなんとか維持しいるのが現状と申せましょう。航空関係者のみならず多くの日本の方々に心よりご支援の程御願い申し上げます。 Okinawa yoluyukai