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戦闘機「飛燕」の計器盤再現 磐田の郷土史家が10年かけ 静岡新聞 2016.5.10

戦闘機「飛燕」の計器盤再現 磐田の郷土史家が10年かけ 協力した企業関係者に、再現した計器盤を紹介する岡部英一さん=9日午後、磐田市の篠田製作所

磐田市の郷土史家岡部英一さん(64)が、旧日本陸軍の戦闘機「飛燕」の操縦席計器盤の再現に成功した。飛燕の計器盤は現存しないとされ、当時の資料を探して10年がかりで機器を収集した。三菱航空機のジェット旅客機MRJの初飛行成功で国産航空機に注目が集まる中、岡部さんは「当時の最先端技術が詰まった日本の航空技術遺産として、計器盤を多くの人に見てほしい」と話す。

計器盤は縦横約80センチ。羅針盤や速度計、高度計など計器15個と無線機、照準器で構成する。終戦直後に撮影された飛燕の計器盤の写真を収めた海外の本や、ニューギニアで発見されたという実物の計器盤パネルの一部を手掛かりに、インターネットを駆使して当時の計器類を買い集めた。

計器盤を支える展示台は磐田市の篠田製作所、計器をはめ込むパネル部は浜松市東区のアライブテックにそれぞれ製作を依頼し、計器盤が完成した。

岡部さんは10年前から、終戦直後に磐田市の海岸に不時着した海軍機「緑十字機」の研究に取り組み、旧日本軍の航空機に深く関心を持った。「戦時中の航空技術は戦後日本の高度成長の礎になった。戦争を賛美するわけではなく、産業遺産として次の世代に伝えたい」と語った。

計器盤は今後、航空資料館など公的施設への寄贈も検討する。14、15日に静岡市で開かれる静岡ホビーショーの会場で一般公開する。

<メモ>飛燕 第2次大戦中に約3千機が製造され、米軍機B―29の迎撃などの作戦行動を担った。国内の現存機体は鹿児島県の知覧特攻平和会館に展示されていた1機のみで、製造当時の計器盤は残っていない。現在、所有する日本航空協会(東京都)が川崎重工業に委託し、同社岐阜工場で修復作業が進められている。

静岡新聞 2016.5.10より

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