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三つの特攻部隊に焦点、大刀洗平和記念館で企画展読売新聞2016年09月06日

戦死した隊員の遺影や遺書、軍装などが展示された会場戦死した隊員の遺影や遺書、軍装などが展示された会場

筑前町立大刀洗平和記念館で、企画展「知られざる特攻」が開かれている。特攻といえば、航空機で敵艦に突入する海軍の作戦が知られているが、ほかにも陸海軍で様々な手法がとられた。企画展では三つの特攻部隊に焦点を当て、初公開を含む約200点の史料で今に伝えている。

今回の企画展では、▽重爆撃機に800キロ爆弾2発を積んでフィリピン近海に出撃し、陸軍特攻の先駆けとされる「富嶽(ふがく)特別攻撃隊」▽九州上空に飛来した米爆撃機B29に戦闘機で体当たりする空対空特攻「回天制空隊」▽敵の飛行場に強行着陸して破壊工作を行う「義烈空挺隊」――を取り上げている。

このうち、回天制空隊については、1945年4月18日に雁ノ巣飛行場を飛び立ち、現在の小郡市上空でB29に体当たりして墜落させた山本三男三郎(みおさぶろう)少尉(当時23歳)について解説。山本少尉が身に着けていた血染めのマフラーや飛行眼鏡なども展示している。

義烈空挺隊はパラシュート部隊や陸軍中野学校で諜報(ちょうほう)や通信を習得した将校ら168人で構成。45年5月24日、米軍に奪われた沖縄県の2か所の飛行場に向かって熊本県・健軍飛行場から12機で出撃した。だが途中で撃墜されるなどし、着陸できたのは1機のみ。手榴弾(しゅりゅうだん)や吸着爆弾で敵機33機を破壊・損傷させ、ガソリン7万ガロンを燃やしたが、日本側だけで113人が戦死したとされる。

展示されているのは、三つの作戦で亡くなった隊員の遺書や遺品、血書、武器類の複製など。戦死者の遺族や知人のほか、靖国神社、陸上自衛隊などが協力した。特に義烈空挺隊は、従軍カメラマンが撮影した出撃直前までの写真が多く掲示されている。

山本寛館長は「出撃直前の若者たちの表情や遺書の文言に触れ、当時の若者たちの心情に思いをはせてほしい」と話している。

12月26日まで、会期中無休。入館料は大人500円、高校生400円、小中学生300円。問い合わせは記念館(0946・23・1227)へ。(読売新聞2016年09月06日


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