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戦闘機「飛燕」明石で復元 製造の川重後輩神戸新聞NEXT2016/9/21

太平洋戦争中に撮影された「飛燕」の機体太平洋戦争中に撮影された「飛燕」の機体

太平洋戦争中に川崎航空機工業(現川崎重工業)が製造した陸軍の戦闘機「飛燕(ひえん)」を、同社の有志が修復している。当時エンジンを造っていた明石工場では、二輪車の開発担当者らが主要部品の過給機を復元した。「先人がものづくりに込めた思いや工夫の跡を感じ取りたい」と地道な作業を続ける。10月15日から神戸市内で展示する。(高見雄樹)

飛燕はエンジン製造を明石、機体の組み立てを岐阜の工場が担った。ドイツのダイムラー社からライセンスを受けた一型は約3千機を生産。上空1万メートルを超える高高度での運航性能が良く、米爆撃機の迎撃や特攻にも使われた。川崎が独自設計した二型は約60機が配備されただけで、両方の型を合わせ、日本航空協会(東京)が所有する二型の試作機が唯一現存していた。

復元したエンジン部品の「過給機」を囲む川崎重工業の社員ら=明石市川崎町、同社明石工場復元したエンジン部品の「過給機」を囲む川崎重工業の社員ら=明石市川崎町、同社明石工場

機体は計器類が失われ、エンジンに圧縮空気を送って出力を上げる過給機もなくなっていた。明石工場では1年前から有志10人が勤務時間外に過給機の復元を開始。設計図は戦後に焼却され、唯一残る写真や類似機種の図面を基に3Dプリンターで試作を重ねた。

メンバーの市聡顕(いちさとあき)さん(43)は、川重が昨年売り出した大型二輪車「ニンジャH2」の開発チームを率いた。設計の前に飛燕のエンジンを見て「無駄のない究極の機能美を参考にした」と話す。

通常は円形のエンジン排気口が楕円(だえん)形になっており、作りやすさよりも性能にこだわっている証拠だという。メンバーの恵上浩一さん(52)は「材料が乏しく、加工機械などの制約も多い中、ものづくりに向き合って最高の製品を造ろうとした先人の思いがよく分かった」と話す。

機体は全長9メートル、全幅12メートル。岐阜工場で組み立てなど全体修理を行い、同社の設立120年を記念して10月15日から11月3日まで、神戸港新港第4突堤の神戸ポートターミナルホールで展示する(10月18、19日は休館)。無料。午前10時~午後5時(入場は午後4時半)。川崎重工業神戸広報課TEL080・4063・2090
神戸新聞NEXT2016/9/21


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