旧陸軍機が航空遺産に 十和田湖から引き揚げ
(産経新聞2016.6.14)
青森県立三沢航空科学館(三沢市)は14日、2012年に十和田湖から引き揚げられ、館内で展示している旧日本陸軍の訓練用飛行機「一式双発高等練習機」が、来月2日に日本航空協会の「重要航空遺産」に認定されると発表した。全国で9件目、東北では初めての認定となる。
練習機は1943年、秋田県の旧陸軍能代飛行場から青森県の八戸飛行場へ飛行中、十和田湖に着水し水没。2012年9月に湖底から69年ぶりに引き揚げられた。
この練習機は45年までに1342機が生産され、現存するのは世界中で3機。認定が決まったのは、国内に唯一残る機体。
県航空協会会長も務める大柳繁造館長(83)は「本当に貴重な遺産だ。腐食が進まないよう保存の在り方を検討する」と話した。
(産経新聞2016.6.14)当協会では、歴史的文化的に価値の高い航空遺産を「重要航空遺産」として認定し、その意義を広く社会に知らしめるとともに、後世に遺していくため「重要航空遺産認定制度」を平成19年に設立いたしました。 平成20年に、国立科学博物館が所有する「YS-11輸送機量産初号機」および埼玉県が所有する「九一式戦闘機」を初の「重要航空遺産」として認定し、これまでに以下の航空遺産を重要航空遺産として認定しています。(認定の新しいものから順に掲載しています。)。
2012年9月に十和田湖底から引き揚げられ、三沢市の県立三沢航空科学館で一般公開されている旧日本陸軍の「一式双発高等練習機」が、7月2日付で日本航空協会(東京都)の「重要航空遺産」に認定されることが決まった。認定は全国で9件目、東北地方では初。2日、同館で認定証贈呈式が行われる。 同館によると、一式双発高等練習機は全長12メートル、翼の幅18メートル。戦時中、操縦訓練などのために計1342機が製造されたが、国内で現存するのは十和田湖底で見つかった機体だけという。 同機は1943年9月、秋田県能代市から八戸市に向け飛行中に墜落したとみられ、同館の大柳繁造館長(83)(県航空協会長)ら有志のグループが69年後の12年に水深57メートルの湖底から引き揚げに成功。同年11月から、同館の格納庫で一般公開されている。 重要航空遺産は歴史的、文化的に価値が高い飛行機の意義を後世に伝えることなどが目的。今回の認定理由について、日本航空協会は「修理や再塗装が施されておらず、使用当時の状態が保たれているため」などとしている。 同館によると、機体を保存するためには湿度管理が重要という。14日に記者会見した大柳館長は、将来的には密閉された専用展示室を整備する必要があるとの認識を示したうえで、「貴重な航空遺産。使命感に燃え、保存に取り組む」と述べた。(読売新聞 2016年06月15日より)
あらためて見る機体は、やはり大きかった。旧陸軍の飛行機「一式双発高等練習機」。戦時中に青森、秋田県境の十和田湖に沈んだ機体が69年ぶりに引き揚げられ、青森県立三沢航空科学館(三沢市)で一般公開が始まった。航空機ファンの熱烈な要望で、本格的な復元作業に先立ち公開が決まったという。展示会場を訪ねた。 一式双発高等練習機、通称「双高練」は操縦、射撃、爆撃、通信など多様な訓練に対応するため陸軍が1939年、航空機メーカーの立川飛行機に試作を指示、41年に正式に採用された。 立川飛行機は後発で、大手の後じんを拝していたが、双高練は傑作と評価され、終戦直前まで千機以上生産された。輸送機や特攻機にも使われたが、国内ではこれまで一機も保存されていなかったという幻の飛行機だ。 十和田湖の機体は43年に秋田県の陸軍能代飛行場から青森県の八戸飛行場に向け飛行中、エンジントラブルで湖面に不時着し、そのまま沈んだ。 9月5日。十和田湖畔には戦時中、双高練と関わった関係者の姿もあった。青森市の藤本正樹さん(84)は44年、学徒動員で茨城県の陸軍水戸飛行場に配属され、双高練の整備担当になった。 「整備といっても、学生にさせてもらえたのは機体磨きくらい」と言うが、1日がかりの重労働。時々ご褒美に訓練飛行への同乗を許され、藤本さんも10回ほど乗った。揺れが少なく、乗り心地が良かったのが印象的だったという。 もろくなっていた機体は引き揚げの最中に割れ、機首、胴体、尾翼が順番に姿を現した。想像していたよりはるかに大きく、息をのんだ。さびもさほどではなく、胴体と主翼には日の丸がはっきりと見て取れた。69年も水中にあったとは思えないきれいな姿だった。 機体を見ながら、藤本さんは「戦時中の思い出がよみがえる」と、食べるものがなく苦しかった生活ぶりや、空襲で爆弾が近くに落ち、一緒にいた人が亡くなった話を聞かせてくれた。青森は両親の故郷で、終戦後に移り住んだ。 「水戸で出会った飛行機に、青森で再会できるとは思わなかった。双高練は戦友。抱き締めてあげたい」と話す藤本さんの遠くを見つめるような表情が忘れられない。〔共同〕(日本経済新聞 2012/11/17より)
2012年9月に十和田湖湖底から約70年ぶりに引き揚げられ、三沢市の県立三沢航空科学館に展示されている旧陸軍の一式双発高等練習機(キ―54)が14日、重要航空遺産に認定された。来月2日に同館で認定証の贈呈式が行われる。 重要航空遺産は、日本航空協会が歴史的文化的に価値の高い航空関連資料を認定する。これまでにYS―11輸送機量産初号機(国立科学博物館所蔵)など8件が認定され、今回で9件目。東北地方では初めてだ。 同機は1943年9月27日、能代飛行場(秋田県)から八戸飛行場へ向かう途中に十和田湖で不時着水。水没したまま、水深57メートルの湖底に眠っていた。(朝日新聞 2016年6月15日より)
201青森県の十和田湖の湖底から2012年に引き揚げられ、青森県立三沢航空科学館(三沢市)で展示されている旧陸軍の訓練用飛行機「一式双発高等練習機」が7月2日付で「重要航空遺産」に認定されることが決まった。日本航空協会(東京)が14日、発表した。全国で9件目の認定で、東北では初めて。 認定理由は「世界に現存する3機のうち唯一日本に残り、日本の航空機開発の歴史を今日に伝え、塗色をはじめ使用当時の状態を保っており文化価値も高い」としている。認定証の贈呈式は7月2日、同科学館で行われる。 引き揚げに関わり、14日記者会見した県航空協会会長の大柳繁造・同科学館館長は「非常に保存状態がよく、貴重で重要な航空遺産だ。保存する使命感に燃え、展示することに誇りを持つ」と述べた。今後も湿気などに留意して、腐食が進まない状態で保存したいという。 同練習機は全幅約18メートル、全長約12メートル。1942年の製造で、43年に旧陸軍能代飛行場から八戸飛行場に向かう途中、十和田湖の湖面に不時着し、水没した。2010年に機体が発見され、12年9月の引き揚げ後、同11月から同科学館で展示されている。1342機が生産された中、国内で現存する唯一の機体。【塚本弘毅】(毎日新聞2016年6月17日より)
青森県三沢市の県立三沢航空科学館で、今年9月に十和田湖の湖底から69年ぶりに引き揚げられた旧陸軍の一式双発高等練習機が一般公開されている。機体は胴体や主翼などが分離された状態で展示されており、エンジンなどは間近で見ることができる。一般公開は来年3月末まで。 同機は「立川飛行機」の製造で、全長約12メートル、全幅約18メートル。1940~45年に約1300機生産され、操縦訓練や輸 送、哨戒任務に使われた。 同館の大柳繁造館長は「日本に1機しか現存しない機体で、低温の淡水に沈んでいたため保存状態は良い。タイムカプセルが見つかったようなもので、当時の航空技術を知る貴重な歴史的遺産としての価値がある」と話している。【もぎたて便(時事通信2012/12/18より)
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