戦死の特攻隊員哀悼 鶉野飛行場で「平和祈念祭」(神戸新聞NEXT2016/10/3)
鶉野平和祈念の碑に向かって献花する参加者ら=加西市鶉野町太平洋戦争中、旧姫路海軍航空隊の鶉野飛行場(兵庫県加西市鶉野町)から特攻隊として出撃し、戦死した隊員らを哀悼する「平和祈念祭」が2日、同飛行場跡であった。各地から遺族や自衛隊関係者ら約100人が参列した。(河尻 悟)
同飛行場は1943年、飛行士養成のため建設。45年に神風特攻隊「白鷺(はくろ)隊」が編成され、鹿児島・串良(くしら)基地から沖縄方面に出撃した63人が戦死した。また飛行機に起因する旧国鉄北条線列車脱線事故などもあった。
同飛行場跡は国が管理してきたが、今年6月に加西市が払い下げを受けた。市は戦争遺産として観光や平和学習に活用するほか、防災拠点や地域住民の憩いの場として整備を進める。
鶉野平和祈念の碑は99年、同飛行場跡に設置。戦死者名や短歌などを刻む。地元有志らでつくる「鶉野平和祈念の碑苑保存会」は平和祈念祭を開いてきた。
式典では、自衛艦旗を掲揚し、同保存会の三宅通義会長が「地元有志や遺族と(鶉野平和祈念の)碑苑を守っていきたい」などとあいさつ。参加者一同で黙とうし、碑の前で献花した。追悼演奏として「軍艦行進曲」などが同飛行場跡に響き渡り、最後は参加者全員で「海行かば」を斉唱した。神戸新聞NEXT2016/10/3
参考サイト
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