先の大戦で沖縄並びに航空戦に散華された先輩、同僚、また運命を共にした航空機材の冥福を祈ります。 沖縄翼友会
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昭和45年(1970)新聞報道

■ 空華之塔にプロペラ取りつけ きょう「航空の日」

二十日は「航空の日」ー。全国各地で多彩な航空にちなむ行事が催される。沖縄でも摩文仁ガ丘の「空華之塔」で午後二時から沖縄翼友会(渡名喜守定会長)をはじめ航空関係者が沖縄戦で散っていった戦友たちの霊を慰める。このため翼友会は十九日午後から同会の事務局長・浜松昭(四三)さんらが塔の清掃や伸びた草の手入れを行ない本土から贈られてきた念願のプロペラ=写真=を取り付けた。

空華之塔はさる六十四年十一月一日に本土と沖縄の航空関係者が約八千ドルの金をかけて建立した。翼友会はかねてから同塔にパイロットの象徴であるプロペラの取りつけを考えていたが、今月になって自衛隊から「練習機のプロペラを寄贈したい」と持ちかけた。翼友会は喜んで受け入れた。こうして千葉の百里基地から自衛隊、日本航空、南西航空の全面的な協力で沖縄に運ばれてきた。

このプロペラは長さ一・九三メートルの二枚羽でライトグレー。翼友会の関係者は「念願のプロペラがやっと取り付けられ、祖国防衛の柱となった戦友の霊もこれで慰められるでしょう」と二十日の「航空の日」に間に合ってホッとした表情。

■ しめやかに慰霊祭 沖縄翼友会 摩文仁の空華之塔で

祖国防衛のため空に散っていった戦友よ安らかに眠りたまえーと航空の日の二十日、摩文仁ガ丘の空華(くげ)之塔で沖縄翼友会(渡名喜守定会長)や航空関係者が集まってしめやかに戦友の霊を慰めた。断がいの上にそそり立つ摩文仁の丘の上には日の丸の旗が掲揚され、渡名喜守定会長、増茂昌夫南西航空社長らが次々と焼香、空に散っていった戦友の霊を慰めた。

翼友会では二十日の航空の日に間に合わせようと、十九日やっとプロペラを空華之塔に取り付けたばかり。ライトブルーのプロペラが特攻隊を象徴し、この日集まった関係者も真新しいプロペラを見ながら「これで戦友もホッとしたことだろう」とひと安心。

■ 季節風

〇・・・九月二十日は「航空の日」。摩文仁霊域にある航空関係戦没者をまつった「空華之塔」では、沖縄翼友会(渡名喜守定会長)や航空関係者二十人が集まりしめやかに慰霊祭が行なわっれた。

〇・・・読経のあと渡名喜会長が「今日はすばらしい航空界の発展は、英霊たちの尊い犠牲のうえになされたもである。これからの空にたずさわる自分たちのなすべきことは多く、力を合わせひとつひとつ実現に努力していきたい」と弔辞を述べ、平和の祈りをこめたラッパの吹奏で霊をなぐさめた。

〇・・・翼友会ではかねてから空を飛ぶ者の命であるプロペラを空華の塔に取り付け、英霊の供養にしようと計画していた矢先、自衛隊から小型練習機のプロペラ一基贈られ念願がかない、二日前取りつけられた。塔もまっ白いペンキで塗りかえられ、青い空にさわやかに映えていた。

下記の画像は当時の原本のコピーです。※クリック拡大

 当時の新聞報道

空華之塔(くげのとう)について

太平洋戦争は沖縄を天王山として終結しました。例え悲しい敗戦に終わったとは申せ、地球の半ばを覆う広大な戦域を舞台として優秀な連合軍の空軍を対手に戦い抜いた我が航空勢の健闘は国民は申すに及ばず世界の人々の・・・>>>つづき空華之塔 Okinawa yoluyukai

アクセス

沖縄県平和祈念公園内に空華之塔はあります。那覇から平和記念公園は約22kmあります。沖縄本島の最南部糸満市摩文仁ありバス、タクシーもご利用できます。・・・>>>つづき案内地図 Okinawa yoluyukai

沖縄航空史

琉球王「尚 穆」(しょうぼく)の時代36年の頃、首里士族で花火師の安里周当(あさとしゅうとう)が凧(たこ)用の飛翔体で、南風原村(はえばるそん)字津嘉山(あざつかざん)部落の自宅および付近の山野で飛行したとの逸話伝説あり。・・・>>>つづき飛び安里Photo:南風原町観光サイト
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