先の大戦で沖縄並びに航空戦に散華された先輩、同僚、また運命を共にした航空機材の冥福を祈ります。 沖縄翼友会
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平成27年度慰霊祭

平成27年10月31日(土)晴天の中、沖縄県摩文仁の丘(三慰霊碑)にて、第五十二回航空関係戦没者並びに航空機材を祀る空華之塔及び第三十六回陸軍飛行第十九戦隊、飛燕特攻之碑並びに第二十八回南方航空輸送部戦没者慰霊碑の合同慰霊祭が滞りなく執り行われ、ご遺族並びに陸海空自衛隊関係者のご臨席を頂きました。また、今年は台湾からご臨席もあり、皆々様に心より感謝申し上げます。

慰霊祭

追悼の言葉

冬を告げる立冬も間近と云うのに、沖縄本島中北部の山野では、いまだに蝉が鳴いておりますが、今日ここ摩文仁の丘には、沖縄で新北風(みいにし)と呼ばれる北風が吹き、秋の気配が漂っております。

本日ここに第五十二回航空関係戦没者並びに航空機材を祀る空華之塔及び第三十六回陸軍飛行第十九戦隊、飛燕特攻之碑並びに第二十八回南方航空輸送部戦没者慰霊碑の合同慰霊祭を挙行するに当たり、県外はもとより日頃ご多忙のところ御参列を賜りました皆様方を前に、甚だ僭越ではございますが、三慰霊碑を代表して謹んで追悼の言葉を捧げます。

航空戦に始まり航空戦で終わりを告げた太平洋戦争は、それこそ膨大な人員と物量の消耗戦でもありました。

緒戦に勝った我が国も圧倒的な物量を背景にした米英連合軍の前に如何ともし難く、遂に航空機を以ってする肉弾特攻となりました。陸海軍機はもとより民間航空の別無く、多くの国民が戦列に参加し、前線後方の別無く多くの人達が散華し亦多くの機材が運命を倶にしました。

戦後七十年、私共は多くの方々の死によって償われた平和の尊さを身に沁みて感じております。

今、日本を取り巻く周辺は決して平穏な状態ではありませんが、私共は諸霊らの払われた尊い犠牲を無にすることなく、世界の平和達成に一歩でも近づけるよう己れの職分によって努力を続ける所存であります。

本日ここ摩文仁の丘で生き延びた私共が、御案内の皆様方をお迎えして、ささやかな慰霊の式典を挙行するに当り、諸霊等のご冥福を祈ると共に、祖国と郷土の繁栄にお加護を賜らんことを。

なお最後になりましたが、先般「日本と台湾」=「日台平和基金会台湾事務所」より今次大戦に日本軍の一員として参加戦死された台湾の方々の慰霊碑の建立地として、空華之塔敷地内に借地申込みがありました。

御列席の皆様にはご存知とは思いますが、戦前の台湾には多くの日本陸海軍基地があり、去った大戦では陸海軍航空機の大半が台湾基地を経由してそれぞれの南方戦線へ展開し、一方傷を負った人も機体も台湾で傷の癒えるまで台湾の人々のお世話になりました。

空華之塔に合祀されている沖縄特攻一号の伊舎堂用久(いしゃどうようきゅう)中尉を長とする陸軍誠第十七飛行隊そして同じく飛行第十九戦隊飛燕隊も、台湾宜蘭基地(たいわんぎらんきち)での訓練後、八重山の白保基地(しらほきち)から出撃しており、戦時中多くの軍用機や民間機が台湾のお世話になっております。

私共は同じ航空人の一員として「台湾慰霊塔」の建立地の提供が戦時中の御恩返しの一端となり、日本と台湾の交流、日台親善の懸橋ともなれば是に過ぎるものはありません。

以上ご報告かたがた追悼の言葉と致します。

平成二十七年十月三十一日
沖縄翼友会 玉那覇 徹次

平成27年度慰霊祭Photo01

平成27年度慰霊祭Photo02空華之塔

平成27年度慰霊祭Photo03南方航空輸送部戦没者慰霊碑

平成27年度慰霊祭Photo04飛燕特攻之碑

平成27年度慰霊祭Photo05今年は台湾の国会議員 周倪安女史も参加

平成27年度慰霊祭Photo15開会の辞

平成27年度慰霊祭Photo16黙 祷

平成27年度慰霊祭Photo06追悼のことば

平成27年度慰霊祭Photo07以下献花

平成27年度慰霊祭Photo08  

平成27年度慰霊祭Photo09

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平成27年度慰霊祭Photo12

平成27年度慰霊祭Photo13

平成27年度慰霊祭Photo14同期の桜斉唱

平成27年度慰霊祭Photo15謝 辞

平成27年度慰霊祭Photo17  

平成27年度慰霊祭Photo18三橋婦人の謝辞

平成27年度慰霊祭Photo22台湾立法委員 周倪安氏のあいさつ

平成27年度慰霊祭Photo19シンガポール在住の元特攻隊員楊 馥成 氏のあいさつ

平成27年度慰霊祭Photo21元戦友に熱く海行かばを歌う楊 馥成 氏

平成27年度慰霊祭Photo23右は空自の上ノ谷空将補

平成27年度慰霊祭Photo24台湾のTBS公視テレビの撮影風景(左:楊 馥成 氏)

公共電視 youtube

他、参加者・団体

航空関係のご遺族、台湾立法委員 周倪安氏、元特攻隊員 楊 馥成 氏、那覇市議会議員 粟国 彰氏、南西航空混成団、第83航空隊、第204飛行隊、空挺同窓会那覇支部、海自第5航空群、陸上自衛隊、一般社団法人沖縄海友会、沖縄県防衛協会、一般社団法人日本台湾平和基金会、沖縄翼友会、他個人・団体

空華之塔(くげのとう)について

太平洋戦争は沖縄を天王山として終結しました。例え悲しい敗戦に終わったとは申せ、地球の半ばを覆う広大な戦域を舞台として優秀な連合軍の空軍を対手に戦い抜いた我が航空勢の健闘は国民は申すに及ばず世界の人々の・・・>>>つづき空華之塔 Okinawa yoluyukai

アクセス

沖縄県平和祈念公園内に空華之塔はあります。那覇から平和記念公園は約22kmあります。沖縄本島の最南部糸満市摩文仁ありバス、タクシーもご利用できます。・・・>>>つづき案内地図 Okinawa yoluyukai

沖縄航空史

琉球王「尚 穆」(しょうぼく)の時代36年の頃、首里士族で花火師の安里周当(あさとしゅうとう)が凧(たこ)用の飛翔体で、南風原村(はえばるそん)字津嘉山(あざつかざん)部落の自宅および付近の山野で飛行したとの逸話伝説あり。・・・>>>つづき飛び安里Photo:南風原町観光サイト
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寄付について

戦後70年が過ぎ会員の高齢化と会員数の減少に伴い、維持管理の費用もそれぞれが持ち出しという状況になっています。先の大戦で勇敢に戦った英霊の功績を後生に残したい思いでなんとか維持しいるのが現状と申せましょう。航空関係者のみならず多くの日本の方々に心よりご支援の程御願い申し上げます。 Okinawa yoluyukai