平成28年10月29日(土)晴天、昨日の暑さが和らぎ気温も28度というさわやかな風の中、沖縄県摩文仁の丘(三慰霊碑)にて、第五十三回航空関係戦没者並びに航空機材を祀る空華之塔及び第三十七回陸軍飛行第十九戦隊、飛燕特攻之碑並びに第二十九回南方航空輸送部戦没者慰霊碑の合同慰霊祭が滞りなく執り行われ、ご遺族並びに陸海空自衛隊関係者のご臨席を頂きました。皆々様に心より感謝申し上げます。
追悼の言葉
冬を告げる立冬も間近と云うのに、沖縄本島中北部の山野では、いまだに蝉が鳴いておりますが、今日ここ摩文仁の丘には、沖縄で新北風(みいにし)と呼ばれる北風が吹き、秋の気配が漂っております。
日中の日差しも和らぎ、秋の訪れを感じる今日この頃、本日ここに摩文仁原頭に於て、第53回空華之塔及び第37回飛行第19戦隊飛燕特攻之碑、並びに第29回南西航空輸送部戦没者慰霊碑の合同慰霊祭を挙行するに当たり公私共にご多忙の処、毎年の事ながら県内はもとより本土各地からはるばるご出席賜わりました関係各位を前に甚だ僭越ではありますが、謹んで追悼の言葉を捧げます。
顧みますれば、この地に空華之塔の仮碑の木柱が建立されたのが今を遡ること55年前の昭和36年の大晦日を明日に控えた12月30日のことで ありました。
それからおよそ三年後の昭和39年11月1日、日本各地も含め関係者の協力で現在の本塔の完成を見て、私共航空にたずさわった生き残りの一員として、祖国の為に散華された諸霊方にも顔向けができた安堵と共に、当時アメリカの施政権下でもありました沖縄ならではの感無量なるものがありました。
昭和55年8月陸軍飛行第19戦隊飛燕特攻之碑を東京都の歯科医で、元隊員の川村安久氏のご要請で敷地内に設置、更に昭和63年5月、元南西航空機長の三橋孝氏を代表とする南西航空輸送部戦没者慰霊碑も敷地内に建立されました。又、昨年日本と台湾、日台平和基金会台湾事務所より、今次大戦で日本軍の一員として参加戦死された五万人余りの台湾出身戦没者の慰霊碑の建立地として空華之塔敷地内への借地申込みがありました。
戦前台湾には、陸海軍合わせて30余の航空基地があり、去った大戦では陸海軍航空機の大半が、当時日本最南端の台湾各基地を経由して中国大陸及び南西戦線へ展開、終戦直前には九州基地と共に沖縄特攻への前進基地となり多くの航空機が台湾基地のお世話になりました。私共この戦時中のご恩返しの一端ともなればと建立地の貸借契約を受諾、今年6月25日「台湾之塔」が建立されました。これも一重に英霊各位のとりもつ御縁の賜で、今後日本と台湾の益々の交流、日台親善の懸橋ともなれば是に過ぎるものはありません。
戦後七十年余、私共は多くの方々の死によって償われた平和の尊さを身に沁みて感じております。今、日本周辺は決して平穏な状態ではありませんが、私共は諸霊らの払われた尊い犠牲を無にすることなく、世界の平和達成に一歩でも近づけるよう己の職分によって努力を続ける所存でおります。慰霊塔建立から早や半世紀を過ぎ私共も倶に年を重ね慰霊塔の補修や周辺の清掃等も意の如くなりませんが、幸いにも航空自衛隊与座岳分屯基地の隊員の皆様方並びに琉球ダイハツ販売の島袋朝永様を始めとするNPO団体のご協力を頂き滞りなく慰霊祭も執り行なうことが出来ましたことに対し哀心より感謝と共に御礼申上げます。
本日ここ摩文仁の丘で生き延びた私共がご案内の皆様方をお迎えして、ささやかな慰霊の式典を挙行するに当たり諸霊等のご冥福を祈ると共に祖国と郷土の繁栄にお加護を賜らんことを希って追悼の言葉といたします。
平成二十八年十月二十九日
沖縄翼友会 会長 玉那覇 徹次
空華之塔
南方航空輸送部戦没者慰霊碑
飛燕特攻之碑
参加者の方々
開会の辞
黙 祷
追悼の言葉
以下献花
同期の桜を合唱
謝辞(三橋婦人)
閉会の辞
台湾之塔前での記念撮影
参加者・団体
航空関係のご遺族、南西航空混成団、第9航空団、第83航空団、航空自衛隊那覇基地、陸上自衛隊、航空自衛隊OB会、沖縄県平和祈念財団、沖縄県防衛協会、一般社団法人沖縄海友会、一般社団法人日本台湾平和基金会、沖縄翼友会、他個人・団体
太平洋戦争は沖縄を天王山として終結しました。例え悲しい敗戦に終わったとは申せ、地球の半ばを覆う広大な戦域を舞台として優秀な連合軍の空軍を対手に戦い抜いた我が航空勢の健闘は国民は申すに及ばず世界の人々の・・・>>>つづき Okinawa yoluyukai
沖縄県平和祈念公園内に空華之塔はあります。那覇から平和記念公園は約22kmあります。沖縄本島の最南部糸満市摩文仁ありバス、タクシーもご利用できます。・・・>>>つづき Okinawa yoluyukai
琉球王「尚 穆」(しょうぼく)の時代36年の頃、首里士族で花火師の安里周当(あさとしゅうとう)が凧(たこ)用の飛翔体で、南風原村(はえばるそん)字津嘉山(あざつかざん)部落の自宅および付近の山野で飛行したとの逸話伝説あり。・・・>>>つづきPhoto:南風原町観光サイト
Okinawa yoluyukai
戦後70年が過ぎ会員の高齢化と会員数の減少に伴い、維持管理の費用もそれぞれが持ち出しという状況になっています。先の大戦で勇敢に戦った英霊の功績を後生に残したい思いでなんとか維持しいるのが現状と申せましょう。航空関係者のみならず多くの日本の方々に心よりご支援の程御願い申し上げます。 Okinawa yoluyukai