先の大戦で沖縄並びに航空戦に散華された先輩、同僚、また運命を共にした航空機材の冥福を祈ります。 沖縄翼友会
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航空自衛隊那覇基地所属の若きパイロットとの親睦会(参加報告)

平成28年11月18日

月例の航空自衛隊那覇基地所属の若きパイロットとの親睦会(参加報告)

当航空自衛隊那覇基地所属の若きパイロットとの親睦会①恒例の同期の桜を歌う

久々に親睦会に参加しました(宮野)。場所はいつもの那覇市内にあるスナック・リッツで午後7時より行われました。上の写真は時間が前後しますが、漸くほろ酔いの頃に皆で恒例の同期の桜をカラオケで歌っている処です。なので二名ばかり先に帰っていて写っていません。

当日は、当会員の崎浜さんの運転する車で迎えに来てもらい(崎浜さんはさんぴん茶を飲まれていましたのでご安心ください)帰りも送って頂きました。大変に恐縮した次第です。

当航空自衛隊那覇基地所属の若きパイロットとの親睦会②戦前戦中の話しも弾む

この日は、現役隊員の方から、大分の実家に成る甘柿とカボスの差し入れがあり、特に甘柿は程良い硬さで皆で舌鼓を打つほど大変美味しかったです。また、カボスは泡盛に搾り入れ美味さを堪能しました。(崎浜さんすみません(笑;))

大分県カボス振興協議会
一般社団法人大分市観光協会

今回の話題で一番盛り上がったのは、沖縄軽便鉄道の話しで、党会員の方々は子供時代や青年時代の軽便鉄道の思い出など話され、皆関心有り笑い有りで盛り上がりました。沖縄戦で米軍の艦砲射撃で粉々になってしまった沖縄唯一の鉄道網、沖縄軽便鉄道。

その軽便鉄道の資料を、当会事務局長の濱松さんが持参し皆に配布しました。その資料は、ゆたかはじめさん(元東京高裁長官、本名:石田 穣一(いしだ じょういち)氏)の著書(沖縄軽便鉄道)からの抜粋で(たぶん)、軽便鉄道節という歌の歌詞も載っていました。

その抜粋の一部を文字起こししました。

ここから

シッタンガラガラ(ゆたかはじめ)

こうしてあちこち走りまわるうち、沖縄に汽車や電車の無いのが、少しさみしくなってきた。もともと人一倍汽車ポッポ好きの私に沖縄へ行けというのは、いささか酷な転勤であったのかもしれない。羽をもぎ取られた鳥のような思いで駅ならぬ空港に降り立って赴任した私は、その日からあのレールのきしみ、コトンコトンという走る音を聞くことができなくなってしまったのである。那覇の街には車があふれ、今日も激しい渋滞をおこしている。電車一本あれば、空港へもコザへも、時間どおり正確に着くことができるのに、と思いながらも、鉄道への思いはあきらめざるを得なかった。

大正10年3月6日、東宮殿下お召し列車大正10年3月6日、東宮殿下お召し列車

そんなある日、車の中でラジオを聞いていると、思いがけない歌が流れてきた。何と沖縄の「鉄道唱歌」ではないか。昔沖縄を走っていた県営鉄道を歌ったもので、実に楽しく軽快な曲である。鉄道のない国にこんなすてきな鉄道唱歌があるなんて全く知らなかったので、私はびっくりした。メロディだけはすぐ覚えたものの、歌誌の意味は全く判らない。ただ「アフィー、シッタンガラガラ」という、はやし言葉だけは、妙に耳に残ったのである。歌の名は「軽便鉄道節」。戦後汽車がなくんってからできた沖縄の新しい歌で、レコードやカセットもあるという。早速買い求めてきた。作曲は三田信一、作詞は徳田安周ということである。私は徳田さんをお訪ねして、この歌のできたいきさつなどを伺った。戦前那覇の子供達が歌っていた「アフィー、シッタンガラガラ、シッタンガラガラ」という鉄道わらべ唄をもとに、那覇の街が砂漠にならない前の平和な姿と、ありし日の汽車ポッポを思いうかべながら作ったものだという。私は「芭蕉布」や「ちんぬくじゅうしい」よりも先に、まずこの歌を覚え、歌誌の意味もやっと心得た。

軽便鉄道節

軽便汽車乗てぃ まーかいが
那覇ぬ市(まち)ぐゎぬ 樽皮屋
買いてぃ戻やい 砂糖代(さーたーでー)
だてーん儲けてぃ 家(やあ)ふちゅん
シタイ! あひ小(ぐゎー)ちばりよー
鳴ゆる気笛ん アフィー! アフィー!


軽便汽車乗てぃ まーかいが
那覇いっぺー とぅんみぐるー
桃売あん小(むむういあんぐぁ)ぬ 志情(しなさき)や
機関車やかん てーちかてぃ
さーれー三貫 まんぶりー
鳴ゆる気笛ん アフィー! アフィー!


軽便汽車乗てぃ まーかいが
九年母(くぬぶ)かみてぃぬ 昼あちねー
宜野湾村の カーブチー
池原(いちばる)登川(ぬぐんじぁー)ぬ シークワサー
買(こう)んそーらに 買(こ)みそうり
鳴ゆる気笛ん アフィー! アフィー!


軽便汽車乗てィまーかいが
今日(ちゅう)や門中ぬ 御清明(うしいみい)
クワッチーしこうてぃ イーマールー
親戚兄さん 中学生
いとこの姉さん 女学校
鳴ゆる気笛ん アフィー! アフィー!
シッタンガラガラ シッタンガラガラ

嘉手納駅停車中のキハ12と職員嘉手納駅停車中のキハ12と職員

沖縄軽便鉄道

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ここまで

下がこの日配布された沖縄軽便鉄道の路線図です。

沖縄軽便鉄道路線図沖縄軽便鉄道路線図

その後、濱松事務局長が、軽便鉄道節のカラオケを歌い、アフィー!アフィー!の時だけ皆で歌いました。志村けんのアイーンじゃありませんので悪しからず。

また、この日崎浜さんが海軍のZ旗を披露。「あれ赤が上だったな?黄色が上だったかな?」としきりに迷っていました。写真は赤が上になっていますが、その後直ぐ、黄色を上にお披露目しました。崎浜さんの顔が赤く見えますが、お酒は一滴も飲んでいません。Z旗の上下の勘違いで少し恥ずかしかったんでしょう。

当航空自衛隊那覇基地所属の若きパイロットとの親睦会③海軍のZ旗を披露

今宵も無事お開きして、皆家路へと足を向けました。

そうそう、大事なお知らせをひと言。長年現役自衛官並びにOBの方々に親しまれていた那覇市内のスナック・リッツが今年いっぱいでお店を閉めるようです。ママ曰く、「そろそろ孫達と接して行きたいからね」と。来月の親睦会は、ママお疲れ様会と忘年会と三つ巴の会になる予定だそうです。う~ん。寂しくなりますねぇ。お知らせでした。

空華之塔(くげのとう)について

太平洋戦争は沖縄を天王山として終結しました。例え悲しい敗戦に終わったとは申せ、地球の半ばを覆う広大な戦域を舞台として優秀な連合軍の空軍を対手に戦い抜いた我が航空勢の健闘は国民は申すに及ばず世界の人々の・・・>>>つづき空華之塔 Okinawa yoluyukai

アクセス

沖縄県平和祈念公園内に空華之塔はあります。那覇から平和記念公園は約22kmあります。沖縄本島の最南部糸満市摩文仁ありバス、タクシーもご利用できます。・・・>>>つづき案内地図 Okinawa yoluyukai

沖縄航空史

琉球王「尚 穆」(しょうぼく)の時代36年の頃、首里士族で花火師の安里周当(あさとしゅうとう)が凧(たこ)用の飛翔体で、南風原村(はえばるそん)字津嘉山(あざつかざん)部落の自宅および付近の山野で飛行したとの逸話伝説あり。・・・>>>つづき飛び安里Photo:南風原町観光サイト
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戦後70年が過ぎ会員の高齢化と会員数の減少に伴い、維持管理の費用もそれぞれが持ち出しという状況になっています。先の大戦で勇敢に戦った英霊の功績を後生に残したい思いでなんとか維持しいるのが現状と申せましょう。航空関係者のみならず多くの日本の方々に心よりご支援の程御願い申し上げます。 Okinawa yoluyukai