平成29年11月11日(土)曇天。昨日までの予報では雨模様とのことでしたが、雨も降らず気温も28度というさわやかな風の中、沖縄県摩文仁の丘にて、第五十四回航空関係戦没者並びに航空機材を祀る空華之塔及び第三十八回陸軍飛行第十九戦隊、飛燕特攻之碑並びに第三十回南方航空輸送部戦没者慰霊碑の合同慰霊祭を執り行いました。当初予定していた十月廿八日の慰霊祭は二十二号台風の襲来で中止となりましたが、沖縄翼友会会員の方々と相談し慰霊祭を挙行する運びとなりました。ご予定されていた関係各位には天候不良とはいえ心よりお詫び申し上げます。
追悼の言葉
近来稀な暑さだった今年の夏も過ぎ、摩文仁の丘にも秋らしい気配が漂っております。当初予定していた十月廿八日の第五十四回空華之塔及び第三十八回飛行第十九戦隊飛燕特攻の碑並びに第三十回南方航空輸送部戦没者慰霊碑の合同慰霊祭は、二十二号台風の襲来で中止の止むなきに至りました。
その前日の十月二十七日、毎年のことながら南方航空ご遺族の大槻恵子様、続いて同じく南方航空ご遺族代表の三橋節子、三橋貞子様御三方が空路お見えになりましたが、暴風警報発令で摩文仁霊園は閉鎖のため入園できず、止むなく三橋節子様のご提案で宿泊ホテルロビーでの英霊への黙祷を捧げ御三方は二~三日後お帰りになりました。
月が変わり主催者の私共は、そのままでは亡くなられた多くの御霊に対し申し訳なく、会員有志相誘って本日沖縄翼友会会員のみによる合同慰霊祭挙行の運びとなりました。会員各位には日頃ご多忙の処、ご参集ご参列いただき厚く御礼申し上げます。と共に甚だ僭越ながら三慰霊碑を代表し謹んで追悼の言葉を捧げます。
空華之塔建立除幕式は昭和三十九年(一九六四)十一月一日ですが、その一週間ほど前、塔の後方の出来立てのコンクリート柵数メートル前後が破壊されるという事件がありました。心無き連中の仕業だと思いますが、今だに犯人の検挙に至っておりません。幸いに除幕式までに柵の修繕工事が完了し、当時私共航空にたずさわった生き残りの一員として、散華された諸霊並びに塔建立に賛同ご援助を頂いた方々に顔向けができた安堵感は一しおでありました。
空華之塔建立からすでに五十年余り、私共も徒らに馬齢を重ねましたが、体力の許す限り、三慰霊碑の慰霊祭を執り行い英霊の霊位に対し深甚なる哀悼の念を捧げ、永久なる英霊のご冥福を祈る次第であります。
近年他国に於ては思想、信條、宗教の違いから未だに戦火の絶えないのは実に残念でなりません。また我が国周辺も決して平穏な状態ではなく、自国の意志をミサイルでもって威嚇する国もあり、言辞とは裏腹に執拗に領海侵犯を繰り返す隣国もあり、更に我が国では前年から続く天災地変で多くの人命や財産が失われましたが、私共はそれに怯むことなく人類の英智と勇気をもってその困難を取り除く努力を続けることが私共の責務だと考えております。
本日ここ摩文仁の丘で生き延びた私共が、沖縄翼友会会員のみのささやかな慰霊の式典を挙行するに当り、諸霊らのご冥福を祈ると共に、祖国と郷土の繁栄にお加護賜らんことを希って追悼の言葉といたします。
平成二十九年十一月十一日
沖縄翼友会 会長 玉那覇 徹次
(代読)事務局長 濱松 昭
空華之塔
南方航空輸送部戦没者慰霊碑
飛行第十九戦隊飛燕特攻之碑
参加者
開会の辞
黙 祷
追悼の言葉
以下献花
同期の桜を合唱
閉会の辞
参加者(沖縄翼友会会員)
濱松 昭、崎浜 秀光、大嶺 皓一、金城 政栄、島袋 朝永、宮野 清治
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Okinawa yoluyukai
戦後70年が過ぎ会員の高齢化と会員数の減少に伴い、維持管理の費用もそれぞれが持ち出しという状況になっています。先の大戦で勇敢に戦った英霊の功績を後生に残したい思いでなんとか維持しいるのが現状と申せましょう。航空関係者のみならず多くの日本の方々に心よりご支援の程御願い申し上げます。 Okinawa yoluyukai