平成29年11月20日(月)午後1時頃、合同慰霊祭の報告も兼ねて、玉那覇会長のお見舞いに行って参りました。
写真右から(濱松事務局長、崎浜さん、玉那覇会長、島袋さん、比嘉さん)
今回の訪問は、私(宮野)と島袋さんが沖縄翼友会会員となり、島袋さんの是非ともお会いしたいという熱い思いがあって実現しました。濱松事務局長が持参してきたアルバムや新聞記事のスクラップをもとに、戦中の出来事や、戦後に玉那覇会長が米軍のジェット戦闘機を民間人として操縦したことや、終戦直後に航空機で満州へ行き6名の練習生を救助した出来事、そのことが56年後の平成13年に第87代内閣総理大臣小泉純一郎から表彰されたことなど会話も弾みました。御歳93歳の玉那覇会長は多少足にご不自由はあっても矍鑠としておられました。宮野(写真撮影担当)と島袋さんは、玉那覇会長にお会いするのは今回が初めてです。
因みに、玉那覇会長が写真でピースサインをしているのはご愛嬌です。
玉那覇会長、同道された皆さん、ありがとうございました。
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戦後70年が過ぎ会員の高齢化と会員数の減少に伴い、維持管理の費用もそれぞれが持ち出しという状況になっています。先の大戦で勇敢に戦った英霊の功績を後生に残したい思いでなんとか維持しいるのが現状と申せましょう。航空関係者のみならず多くの日本の方々に心よりご支援の程御願い申し上げます。 Okinawa yoluyukai