先の大戦で沖縄並びに航空戦に散華された先輩、同僚、また運命を共にした航空機材の冥福を祈ります。 沖縄翼友会
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平成30年度慰霊祭

平成30年10月27日(土)晴れ。この一週間の沖縄の気温は例年より涼しく、当日も25度という清々しい晴れの中、沖縄県摩文仁の丘にて、第五十五回航空関係戦没者並びに航空機材を祀る空華之塔及び第三十九回陸軍飛行第十九戦隊、飛燕特攻之碑並びに第三十一回南方航空輸送部戦没者慰霊碑の合同慰霊祭を執り行いました。

平成30年度慰霊祭

追悼の言葉

相次ぐ台風飛来に気をもみましたが、天上の御霊のお陰で晴天に恵まれ、本日ここに第五十五回空華之塔及び第三十九回飛行第十九戦隊飛燕特攻の碑並びに第三十一回南方航空輸送部戦没者慰霊碑の合同慰霊祭を挙行するに当り、県内はもとより、県外各地から、公私ともにご多忙のところご出席を賜りました皆様方に対し深甚たる敬意と感謝を捧げ、甚だ僭越ではございますが、三慰霊碑を代表して追悼の言葉を捧げます。

「飛行機で始まり、飛行機で終わった」と言われる太平洋戦争が終結して早や七十三年が経ちました。緒戦に勝った我が国も圧倒的な物量を背景にした米英連合軍の前に如何とも仕難く、遂に航空機をもってする肉弾特攻となりました。陸海軍機はもとより、民間航空の別なく多くの国民が戦列に参加し、多くの人達が散華し、亦多くの飛行機在が運命を倶にしました。

記録による沖縄方面の空中戦闘は、昭和十九年十月十日のいわゆる十、十空襲で米軍機動部隊の艦載機が大挙して沖縄の来襲し、当時台湾の高雄基地から沖縄県の八重山の白保基地を経て沖縄本島読谷飛行場に展開していた陸軍独立飛行第三十三中隊の三式戦飛燕八機が応戦しましたが、隊長木村信太郎大尉以下五名が戦死、沖縄上空初の空戦による犠牲者となりました。

明けて昭和二十年三月二十六日、沖縄県八重山郡石垣市出身の伊舎堂用久中尉率いる陸軍飛行第十七飛行隊は台湾の宜蘭基地から、伊舎堂中尉の生誕地でもある八重山白保基地から出撃して、沖縄慶良間諸島周辺の米英連合機動部隊の突入、沖縄特攻第一号となりました。

昭和二十年三月中旬から同年八月十五日の終戦までに航空関係特攻戦没者数は、陸海軍併せて三千余名、損失航空機は千九百余機と言われます。

私達は去る大戦でこの様に多くの家族、友人、先輩、後輩達を失いました。そしてその人達の死によって贖われた平和の尊さを身に沁みて感じとっています。

近年他国に於いては思想、信条、宗教、貧富の差の違いから、未だに戦火の絶えないのは実に残念でなりません。また日本を取り巻く周辺も決して平穏な状態ではなく、更に前年から続く天災、地変で多くの人命が失われましたが、私共はそれに怯むことなく、人類の英智を尽くしてその困難を取り除く努力を続けることが、私達の責務だと考えております。

本日ここ摩文仁の丘で生き延びた私共が、ご案内の皆様方をお迎えしてささやかな慰霊の式典を挙行するに当り、諸霊らのご冥福を祈ると共に、祖国と郷土の繁栄のお加護を賜らんことを希って、追悼の言葉といたします。

平成三十年十月二十七日
沖縄翼友会 会長 玉那覇 徹次

(代読)事務局長 濱松 昭

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平成30年度慰霊祭Photo02空華之塔

平成30年度慰霊祭Photo03南方航空輸送部戦没者慰霊碑

平成30年度慰霊祭Photo04飛行第十九戦隊飛燕特攻之碑

平成30年度慰霊祭Photo05黙 祷1

平成30年年度慰霊祭Photo06黙 祷2

平成30年度慰霊祭Photo07追悼の言葉

平成30年度慰霊祭Photo08以下献花

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平成30年度慰霊祭Photo49同期の桜を合唱1

平成30年度慰霊祭Photo49同期の桜を合唱2

平成30年度慰霊祭Photo49閉会の辞

参加者

(南西航空輸送部 ご遺族)6名様

(航空自衛隊関係) 6名様

(海上自衛隊関係) 1名様

(陸上自衛隊関係) 1名様

(退職自衛隊 元空自関係) 4名様

(那覇市市会議員) 1名様

(沖縄海友会 副会長) 門馬 則雄 様

(全日本空挺同志会 沖縄支部長) 桃原 浩太郎様

(沖縄防衛協会 事務局長) 山縣 正明様

(摩文仁平和記念財団) 又吉 全盛様

(日本台湾平和基金会)

楊 馥成様、許 光輝様、錦古里 正一様

(沖縄翼友会会員)

濱松 昭、比嘉 謄、大嶺 皓一、清島 厚生、島袋 朝永、宮野 清治

空華之塔(くげのとう)について

太平洋戦争は沖縄を天王山として終結しました。例え悲しい敗戦に終わったとは申せ、地球の半ばを覆う広大な戦域を舞台として優秀な連合軍の空軍を対手に戦い抜いた我が航空勢の健闘は国民は申すに及ばず世界の人々の・・・>>>つづき空華之塔 Okinawa yoluyukai

アクセス

沖縄県平和祈念公園内に空華之塔はあります。那覇から平和記念公園は約22kmあります。沖縄本島の最南部糸満市摩文仁ありバス、タクシーもご利用できます。・・・>>>つづき案内地図 Okinawa yoluyukai

沖縄航空史

琉球王「尚 穆」(しょうぼく)の時代36年の頃、首里士族で花火師の安里周当(あさとしゅうとう)が凧(たこ)用の飛翔体で、南風原村(はえばるそん)字津嘉山(あざつかざん)部落の自宅および付近の山野で飛行したとの逸話伝説あり。・・・>>>つづき飛び安里Photo:南風原町観光サイト
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戦後70年が過ぎ会員の高齢化と会員数の減少に伴い、維持管理の費用もそれぞれが持ち出しという状況になっています。先の大戦で勇敢に戦った英霊の功績を後生に残したい思いでなんとか維持しいるのが現状と申せましょう。航空関係者のみならず多くの日本の方々に心よりご支援の程御願い申し上げます。 Okinawa yoluyukai