先の大戦で沖縄並びに航空戦に散華された先輩、同僚、また運命を共にした航空機材の冥福を祈ります。 沖縄翼友会
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令和元年義烈空挺隊慰霊祭 摩文仁

令和元年6月8日(土)、令和元年度空挺同志会沖縄支部主催の義烈空挺隊慰霊祭(摩文仁)に参列しました。令和元年義烈空挺隊慰霊祭は、午前9時に読谷村にある「義烈空挺隊玉砕之地」の慰霊碑に献花式を行い、その後、午前11時より摩文仁にて行いました。この日の天気予報は雨でしたが、午前中は雨は止み、慰霊祭後に雨が降りだしたことは、御英霊のお優しいお心なのだと思います。

会員の参列者

崎浜さん、島袋さん、宮野。

義烈空挺隊慰霊碑(摩文仁)

義烈空挺隊慰霊碑(摩文仁)

宮司による神事が執り行われました。

宮司による神事が執り行われました。

宮司による神事

宮司による神事

全日本空挺同志会 桃原浩太郎沖縄支部長 追悼の言葉

空挺同志会 桃原浩太郎沖縄支部長 追悼の言葉

沖縄翼友会事務局長の代理として参列の崎浜さん(中央)

沖縄翼友会事務局長の代理として参列の崎浜さん(中央)

崎浜さんと同道し参列の島袋さん(中央)

崎浜さんと同道し参列の島袋さん(中央)

空の神兵を唱和

空の神兵を唱和

空の神兵の歌詞

空の神兵の歌詞

献花

献花

神事終了

神事終了

記念撮影

記念撮影

お疲れさまでした。

お疲れさまでした。

受付には義烈空挺隊の軍服を忠実に再現したレプリカが飾られていました。

受付には義烈空挺隊の軍服を忠実に再現したレプリカが飾られていました。

その隣に義烈空挺隊の晴姿というグラビアと、沖縄翼友会の濱松事務局長の著書「沖縄戦こぼれ話」も置かれていました。

沖縄翼友会の濱松事務局長の著書「沖縄戦こぼれ話」も置かれていました。

終了後、参列者全員にスイカが配られ美味しくいただきました。ご馳走様でした。

空華之塔(くげのとう)について

太平洋戦争は沖縄を天王山として終結しました。例え悲しい敗戦に終わったとは申せ、地球の半ばを覆う広大な戦域を舞台として優秀な連合軍の空軍を対手に戦い抜いた我が航空勢の健闘は国民は申すに及ばず世界の人々の・・・>>>つづき空華之塔 Okinawa yoluyukai

アクセス

沖縄県平和祈念公園内に空華之塔はあります。那覇から平和記念公園は約22kmあります。沖縄本島の最南部糸満市摩文仁ありバス、タクシーもご利用できます。・・・>>>つづき案内地図 Okinawa yoluyukai

沖縄航空史

琉球王「尚 穆」(しょうぼく)の時代36年の頃、首里士族で花火師の安里周当(あさとしゅうとう)が凧(たこ)用の飛翔体で、南風原村(はえばるそん)字津嘉山(あざつかざん)部落の自宅および付近の山野で飛行したとの逸話伝説あり。・・・>>>つづき飛び安里Photo:南風原町観光サイト
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寄付について

戦後70年が過ぎ会員の高齢化と会員数の減少に伴い、維持管理の費用もそれぞれが持ち出しという状況になっています。先の大戦で勇敢に戦った英霊の功績を後生に残したい思いでなんとか維持しいるのが現状と申せましょう。航空関係者のみならず多くの日本の方々に心よりご支援の程御願い申し上げます。 Okinawa yoluyukai