令和5年10月28日(土)くもり時々晴れ。この一週間の沖縄の気温は例年より涼しく、当日も最高気温27度。風が心地よく清々しい青空を覗く中、沖縄県摩文仁の丘にて、第五十八回航空関係戦没者並びに航空機材を祀る空華之塔、第四十二回陸軍飛行第十九戦隊飛燕特攻之碑、第三十四回南方航空輸送部戦没者慰霊碑の合同慰霊祭を執り行いました。
追悼の言葉
本日ここに第五十八回空華之塔及び第四十二回飛行第十九戦隊飛燕特攻の碑並びに第三十四回南方航空輸送部戦没者慰霊碑の合同慰霊祭を挙行するに当り、県内はもとより、県外各地から、公私ともにご多忙のところご出席を賜りました皆様方に対し深甚たる敬意と感謝を表し、甚だ僭越ではございますが、三慰霊碑を代表して追悼の言葉を捧げます。
「飛行機で始まり、飛行機で終わった」と言われる太平洋戦争が終結して早や七十八年が経ち沖縄県も復帰五十一年を迎えました。
記録による沖縄方面の空中戦闘は、昭和十九年十月十日のいわゆる十、十空襲で米軍機動部隊の艦載機が大挙して沖縄に来襲し、当時台湾の高雄基地から沖縄県の八重山の白保基地を経て沖縄本島読谷飛行場に展開していた陸軍独立飛行第三十三中隊の三式戦飛燕八機が応戦しましたが、隊長木村信太郎大尉以下五名が戦死、沖縄上空初の空戦による犠牲者となりました。
明けて昭和二十年三月二十六日、沖縄県八重山郡石垣市出身の伊舎堂用久中尉率いる陸軍飛行第十七飛行隊が台湾の宜蘭基地から、伊舎堂中尉の生誕地でもある八重山白保基地を経て出撃し、沖縄慶良間諸島周辺の米英連合機動部隊へ突入、沖縄特攻第一号となりました。昭和二十年三月中旬から同年八月十五日の終戦までに航空関係特攻戦没者数は、陸海軍併せて三千余名、損失航空機は千九百余機と言われます。
私達は去る大戦でこの様に多くの犠牲者をだし。そしてその人達の死によって贖われた平和の尊さを身に沁みて感じとっています。 近年他国に於いては思想、信条、宗教、貧富の差の違いから、未だに戦火の絶えないのは実に残念でなりません。また日本を取り巻く周辺も決して平穏な状態ではなく、特に沖縄県南西方面空域では中国機に対するスクランブル発進が激増し自衛隊による警戒監視活動が続いております。更に数年前から続く天災、地変で多くの人命が失われましたが、私達は英智を尽くしてその困難を取り除く努力を続けることが、責務だと考えております。
本日ここ摩文仁の丘でご案内の皆様方をお迎えしてささやかな慰霊の式典を挙行するに当り、諸霊らのご冥福を祈ると共に、祖国と郷土の繁栄のお加護を賜らんことを願って、追悼の言葉といたします。
令和五年十月二十八日
沖縄翼友会会長 根路銘 敦
空華之塔と第十九戦隊飛燕特攻之碑
南方航空輸送部戦没者慰霊碑
集合写真
開式
会長挨拶
黙祷
追悼の言葉
以下献花
献花終了
同期の桜
閉会の辞
慰霊祭終了後の交流
慰霊祭のテント設営等ボランティアいただいた与座岳分屯地の隊員の方々と。
懇親会
ご参列誠にありがとうございました。
参列者
(航空自衛隊関係) 20名様
(陸上自衛隊関係) 2名様
(海上自衛隊関係) 1名様
(空自退官自衛官) 1名様
(沖縄県平和祈念財団 事務局長) 松川 満様
(空挺同志会沖縄支部 支部長) 桃原 浩太郎様
(沖縄防衛協会 事務局長) 山縣 正明様
(日本台湾平和基金会 理事) 錦古里 正一様
(那覇市市会議員) 粟国 彰様
(南方航空輸送部 ご遺族) 5名様
御供
航空自衛隊関係者樣
沖縄県摩文仁平和祈念財団樣
南方航空輸送部ご遺族樣
(沖縄翼友会会員)
根路銘 敦、島袋 朝永、比嘉 誉、清島 厚生、大山 孝夫、吉嶺 努、
宜保 安孝、仲間 信之、梅田 正宏、宮野 清治、
太平洋戦争は沖縄を天王山として終結しました。例え悲しい敗戦に終わったとは申せ、地球の半ばを覆う広大な戦域を舞台として優秀な連合軍の空軍を対手に戦い抜いた我が航空勢の健闘は国民は申すに及ばず世界の人々の・・・>>>つづき Okinawa yoluyukai
沖縄県平和祈念公園内に空華之塔はあります。那覇から平和記念公園は約22kmあります。沖縄本島の最南部糸満市摩文仁ありバス、タクシーもご利用できます。・・・>>>つづき Okinawa yoluyukai
琉球王「尚 穆」(しょうぼく)の時代36年の頃、首里士族で花火師の安里周当(あさとしゅうとう)が凧(たこ)用の飛翔体で、南風原村(はえばるそん)字津嘉山(あざつかざん)部落の自宅および付近の山野で飛行したとの逸話伝説あり。・・・>>>つづきPhoto:南風原町観光サイト
Okinawa yoluyukai
戦後70年が過ぎ会員の高齢化と会員数の減少に伴い、維持管理の費用もそれぞれが持ち出しという状況になっています。先の大戦で勇敢に戦った英霊の功績を後生に残したい思いでなんとか維持しいるのが現状と申せましょう。航空関係者のみならず多くの日本の方々に心よりご支援の程御願い申し上げます。 Okinawa yoluyukai