先の大戦で沖縄並びに航空戦に散華された先輩、同僚、また運命を共にした航空機材の冥福を祈ります。 沖縄翼友会
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令和六年度合同慰霊祭

令和6年10月26日(土)晴れ。この一週間の沖縄の気温は例年より暑く、当日も最高気温30度。前日まで雨でしたが、慰霊祭当日は晴れ。風が心地よく清々しい青空の中、沖縄県摩文仁の丘にて、第六十回航空関係戦没者並びに航空機材を祀る空華之塔、第四十四回陸軍飛行第十九戦隊飛燕特攻之碑、第三十六回南方航空輸送部戦没者慰霊碑の合同慰霊祭を執り行いました。

令和6年10月26日 慰霊祭 追悼のことば

追悼の言葉

今回の追悼文は、濱松元事務局長に読んでいただくはずだった追悼文を私が代読致します。

本日ここに第六十回空華之塔及び第四十四回飛行第十九戦隊飛燕特攻の碑並びに第三十六回南方航空輸送部戦没者慰霊碑の合同慰霊祭を挙行するに当り、県内はもとより、県外各地から、公私ともにご多忙のところご出席を賜りました皆様方に対し深甚たる敬意と感謝を表し、甚だ僭越ではございますが、三慰霊碑を代表して追悼の言葉を捧げます。

「飛行機で始まり、飛行機で終わった」と言われる太平洋戦争が終結して早や七十九年が経ち沖縄県も復帰五十二年を迎えました。

記録による沖縄方面の空中戦闘は、昭和十九年十月十日のいわゆる十、十空襲で米軍機動部隊の艦載機が大挙して沖縄に来襲し、当時台湾の高雄基地から沖縄県の八重山の白保基地を経て沖縄本島読谷飛行場に展開していた陸軍独立飛行第三十三中隊の三式戦飛燕八機が応戦しましたが、隊長木村信太郎大尉以下五名が戦死、沖縄上空初の空戦による犠牲者となりました。

明けて昭和二十年三月二十六日、沖縄県八重山郡石垣市出身の伊舎堂用久中尉率いる陸軍飛行第十七飛行隊が台湾の宜蘭基地から、伊舎堂中尉の生誕地でもある八重山白保基地を経て出撃し、沖縄慶良間諸島周辺の米英連合機動部隊へ突入、沖縄特攻第一号となりました。昭和二十年三月中旬から同年八月十五日の終戦までに航空関係特攻戦没者数は、陸海軍併せて三千余名、損失航空機は千九百余機と言われます。

私達は去る大戦でこの様に多くの犠牲者をだし。そしてその人達の死によって贖われた平和の尊さを身に沁みて感じとっています。 近年他国に於いては思想、信条、宗教、貧富の差の違いから、未だに戦火の絶えないのは実に残念でなりません。また日本を取り巻く周辺も決して平穏な状態ではなく、特に沖縄県南西方面空域では中国機に対するスクランブル発進が激増し自衛隊による警戒監視活動が続いております。更に数年前から続く天災、地変で多くの人命が失われましたが、私達は英智を尽くしてその困難を取り除く努力を続けることが、責務だと考えております。

本日ここ摩文仁の丘でご案内の皆様方をお迎えしてささやかな慰霊の式典を挙行するに当り、諸霊らのご冥福を祈ると共に、祖国と郷土の繁栄のお加護を賜らんことを願って、追悼の言葉といたします。

令和六年十月二十六日

代読 沖縄翼友会会長 根路銘 敦

令和6年度慰霊祭 三慰霊碑三慰霊碑

令和6年度慰霊 集合写真集合写真

令和6年度慰霊祭 らっぱで『君が代』吹奏らっぱで『君が代』吹奏

令和6年度慰霊祭 国歌斉唱 国旗国歌斉唱 国旗

令和6年度慰霊祭 国歌斉唱②国歌斉唱②

令和6年度慰霊祭 国歌斉唱③国歌斉唱③

令和6年度慰霊祭 会長挨拶会長挨拶

令和6年度慰霊祭 らっぱで追悼の譜『国の鎮め』吹奏 黙祷らっぱで追悼の譜『国の鎮め』吹奏 黙祷

令和6年度慰霊祭 黙祷黙祷

令和6年度慰霊祭 追悼の言葉追悼の言葉

令和6年度慰霊祭 らっぱで追悼の譜『国の鎮め』吹奏らっぱで追悼の譜『国の鎮め』吹奏

令和6年度慰霊祭 以下献花以下献花

令和6年度慰霊祭 Photo04

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令和6年度慰霊祭 Photo39南方航空の歌 吹奏

令和6年度慰霊祭 Photo40南方航空の歌 斉唱

令和6年度慰霊祭 Photo41同期の桜 斉唱

令和6年度慰霊祭 Photo41同期の桜 斉唱

令和6年度慰霊 閉会の辞閉会の辞 沖縄翼友会事務局長 島袋 朝永

令和6年度慰霊 第9航空団・那覇基地 鈴木司令と根路銘会長第9航空団・那覇基地 鈴木司令と根路銘会長

令和6年度慰霊 南西航空音楽隊 佐藤隊長と根路銘会長南西航空音楽隊 佐藤隊長と根路銘会長

令和6年度慰霊 集合写真集合写真

ご参列誠にありがとうございました。

参列者

(航空自衛隊関係) 12名様

(陸上自衛隊関係) 5名様

(海上自衛隊関係) 2名様

(空自退官自衛官) 3名様

(沖縄防衛協会 事務局長) 平田 喜彦様

(沖縄海友会 会長) 門馬 規雄様

(空挺同志会沖縄支部 支部長) 桃原 浩太郎様

(沖縄防衛協会 前事務局長) 山縣 正明様

古堅 政尚様

(南方航空輸送部 ご遺族) 5名様

御供

航空自衛隊関係者樣

沖縄県摩文仁平和祈念財団樣

花代

一般社団法人日本台湾平和基金会樣

南方航空輸送部ご遺族樣

(沖縄翼友会会員)

根路銘 敦、島袋 朝永、比嘉 誉、清島 厚生、大山 孝夫、
宜保 安孝、梅田 正宏(奥様同伴)、石田 明敏、宮野 清治、

空華之塔(くげのとう)について

太平洋戦争は沖縄を天王山として終結しました。例え悲しい敗戦に終わったとは申せ、地球の半ばを覆う広大な戦域を舞台として優秀な連合軍の空軍を対手に戦い抜いた我が航空勢の健闘は国民は申すに及ばず世界の人々の・・・>>>つづき空華之塔 Okinawa yoluyukai

アクセス

沖縄県平和祈念公園内に空華之塔はあります。那覇から平和記念公園は約22kmあります。沖縄本島の最南部糸満市摩文仁ありバス、タクシーもご利用できます。・・・>>>つづき案内地図 Okinawa yoluyukai

沖縄航空史

琉球王「尚 穆」(しょうぼく)の時代36年の頃、首里士族で花火師の安里周当(あさとしゅうとう)が凧(たこ)用の飛翔体で、南風原村(はえばるそん)字津嘉山(あざつかざん)部落の自宅および付近の山野で飛行したとの逸話伝説あり。・・・>>>つづき飛び安里Photo:南風原町観光サイト
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寄付について

戦後70年が過ぎ会員の高齢化と会員数の減少に伴い、維持管理の費用もそれぞれが持ち出しという状況になっています。先の大戦で勇敢に戦った英霊の功績を後生に残したい思いでなんとか維持しいるのが現状と申せましょう。航空関係者のみならず多くの日本の方々に心よりご支援の程御願い申し上げます。 Okinawa yoluyukai