先の大戦で沖縄並びに航空戦に散華された先輩、同僚、また運命を共にした航空機材の冥福を祈ります。 沖縄翼友会
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令和7年10月慰霊碑周辺の清掃と慰霊碑塗装作業

10月18日午前10時より慰霊碑周辺の清掃と慰霊碑塗装作業を航空自衛隊那覇基地の隊員の方々の協力を得て行なわれました。厚く御礼申し上げます。
(当会 会長 根路銘)

今回は、空自第九航空団飛行群司令の働きかけで、第204飛行隊長率いる隊員の方々と第304飛行隊員の方々と息子さんが参加していただきました。 この日の天候は晴れ、気温は30度を下回っていました。過去2度目の多人数(26名)での作業で2時間弱で怪我もなく無事終了。プロペラの塗装もして頂き2年ぶりに輝きを取り戻しました。また、宜野座村議会議員の仲間さん(当会会員)、豊見城市議会議員の宜保さん(当会会員)、株式会社茶甚の社長小山さん(当会会員)の参加して頂きありがとうございました。

令和7年10月慰霊碑周辺の清掃と慰霊碑塗装作業の参加者1

清掃参加者

航空自衛隊第九航空団飛行群司令

航空自衛隊第9航空団第204飛行隊の方々3名

航空自衛隊第9航空団第304飛行隊の方々17名

沖縄翼友会 根路銘会長、島袋事務局長、宜野座村議会議員の仲間さん、豊見城市議会議員の宜保さん、株式会社茶甚の社長小山さん、宮野。

 

作業前の打ち合わせ(右から根路銘会長、仲間議員、島袋事務局長)

令和7年10月慰霊碑周辺の清掃と慰霊碑塗装作業①-0

参加いただいた隊員の方々へのお礼と作業内容の説明

令和7年10月慰霊碑周辺の清掃と慰霊碑塗装作業①-1 令和7年10月慰霊碑周辺の清掃と慰霊碑塗装作業①-2

古いペンキはがし作業

令和7年10月慰霊碑周辺の清掃と慰霊碑塗装作業①-3

古いペンキはがし作業。結構大変です。

令和7年10月慰霊碑周辺の清掃と慰霊碑塗装作業①-4

周辺のフェンスに巻き付いたツタを手作業で刈っています。

令和7年10月慰霊碑周辺の清掃と慰霊碑塗装作業①-5

白ペンキを塗る前に、プロペラの塗装をします。

令和7年10月慰霊碑周辺の清掃と慰霊碑塗装作業①-6

古いペンキはがし作業を終えペンキを塗っています。

令和7年10月慰霊碑周辺の清掃と慰霊碑塗装作業①-7

裏側もしっかり古いペンキはがし作業

令和7年10月慰霊碑周辺の清掃と慰霊碑塗装作業①-9

プロペラの塗装も大分出来てきて来ました。

令和7年10月慰霊碑周辺の清掃と慰霊碑塗装作業①-10

慰霊碑前の絶景ポイントであるところに雑草が生えていて見えません。

令和7年10月慰霊碑周辺の清掃と慰霊碑塗装作業①-11

危険な場所(すぐ崖)なので無理しなででおこうと言いましたが、仲間さんが刈ろうと言い出しフェンスの外へ。(良い子は真似ないで!)見守る宜保さん。

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すごいパワーで刈っちゃいました!

令和7年10月慰霊碑周辺の清掃と慰霊碑塗装作業①-13

良く見えます。感謝!

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国旗掲揚台も美しい白で覆われていってます。手前左は第204飛行隊長です。右の青と赤のジャージの方は第九航空団飛行群司令です。

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あれっ!会長!なに黄昏てんの?(右側)

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まだ黄昏てる!(中央)

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眩しい白さ!完璧です!

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慰霊碑の裏も塗装中。

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プロペラの塗装完了!後は本体の塗装です。

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完成!みんなで記念撮影。

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先輩達も喜んでいることでしょう。

令和7年10月慰霊碑周辺の清掃と慰霊碑塗装作業①-22

お疲れさまでした。

空華之塔(くげのとう)について

太平洋戦争は沖縄を天王山として終結しました。例え悲しい敗戦に終わったとは申せ、地球の半ばを覆う広大な戦域を舞台として優秀な連合軍の空軍を対手に戦い抜いた我が航空勢の健闘は国民は申すに及ばず世界の人々の・・・>>>つづき空華之塔 Okinawa yoluyukai

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沖縄航空史

琉球王「尚 穆」(しょうぼく)の時代36年の頃、首里士族で花火師の安里周当(あさとしゅうとう)が凧(たこ)用の飛翔体で、南風原村(はえばるそん)字津嘉山(あざつかざん)部落の自宅および付近の山野で飛行したとの逸話伝説あり。・・・>>>つづき飛び安里Photo:南風原町観光サイト
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