令和6年7月20日、長年当会(沖縄翼友会)を支えてきた比嘉さんと清島さんお二人を今回お誘いしJICA沖縄国際センター内のレストランで会食しました。今回の発案は、航空自衛隊第九航空団飛行群司令高倉1等空佐です。高倉群司令も当会との関りは10年以上ではないでしょうか。比嘉さんも清島さんも80代後半のご高齢で、たびたび開いている親睦会も参加が厳しいとのことでお昼の会食となりました。清島さんの奥様も参加していただきました。以前は毎月の親睦会にもご夫婦でよくお見えになっていました。
今月当会の創立から関わってきた濱松顧問(元事務局長)今月逝去されました。また令和3年には崎浜前事務局長、大嶺会員、昨年は玉那覇前会長が逝去されました。この日は、ご健在だったころの懐かしい話で時間も忘れる程のひと時でした。今年は当会創立60周年にあたり記念祝賀会も予定しています。
(撮影:宮野)
楽しい時間でした、またお誘いしますね。
太平洋戦争は沖縄を天王山として終結しました。例え悲しい敗戦に終わったとは申せ、地球の半ばを覆う広大な戦域を舞台として優秀な連合軍の空軍を対手に戦い抜いた我が航空勢の健闘は国民は申すに及ばず世界の人々の・・・>>>つづき Okinawa yoluyukai
沖縄県平和祈念公園内に空華之塔はあります。那覇から平和記念公園は約22kmあります。沖縄本島の最南部糸満市摩文仁ありバス、タクシーもご利用できます。・・・>>>つづき Okinawa yoluyukai
琉球王「尚 穆」(しょうぼく)の時代36年の頃、首里士族で花火師の安里周当(あさとしゅうとう)が凧(たこ)用の飛翔体で、南風原村(はえばるそん)字津嘉山(あざつかざん)部落の自宅および付近の山野で飛行したとの逸話伝説あり。・・・>>>つづきPhoto:南風原町観光サイト
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戦後70年が過ぎ会員の高齢化と会員数の減少に伴い、維持管理の費用もそれぞれが持ち出しという状況になっています。先の大戦で勇敢に戦った英霊の功績を後生に残したい思いでなんとか維持しいるのが現状と申せましょう。航空関係者のみならず多くの日本の方々に心よりご支援の程御願い申し上げます。 Okinawa yoluyukai