先月末に、比嘉さん(沖縄翼友会会員で長年の功労者です)からある書籍が送られてきました。その本の表題は「パイロット領事~祖国を、邦人を護れ~」です。比嘉さんが自衛隊父兄会沖縄県連合会会長時代に地方協力本部に勤務する大地さんと出会ったそうです。県内の「自衛官募集と広報で励まされ大きな目標を達成した」と著者は比嘉さんについて書いています。
(写真加工:宮野)
大地さんは2回沖縄で勤務され在沖縄自衛隊連絡調整官としてが初めての沖縄勤務だったそうです。その後も親交は続けられ、昨年3月に「パイロット領事~祖国を、邦人を護れ~」を文芸社より出版されました。その書籍数冊が比嘉さん宅へ送られてきたそうです。
比嘉さんはしばらく体調を崩されていて、当団体の会長から会食への誘いの電話の時は大分調子が戻ってきたとのことでお会いすることができました。その時に持参する予定だった書籍を失念してしまったと、わざわざ郵送していただきました。
比嘉さんの手紙の中で、「皆さん忙しいから感想文は求めません」とありましたが、何となく校長先生から宿題を出されたようで拙い感想文をお送りしました。
比嘉さんに送った感想文
比 嘉 誉 様 書籍を送っていただきありがとうございます。 また、先だっては会食大変楽しい時間でした。ありがとうございました。 お礼の返事を直ぐに送ろうと思いましたが、出来たら本を読んだうえで、感想を書いてからと思い直し遅くなりました。すみません。 当初、表題の「パイロット領事」の意味が分かりませんでしたが、読み進んで中盤以降で理解できました。すごい御体験をされた方ですね。 戦闘機パイロット時代のスクランブル発進の際の話で、「スクランブル」の語源が、卵だと書かれていて、えー!そうだったのー!とびっくりでした。 上官の右の拳銃と左の水筒は自分を護るためのもではなく、部下を護る時のものという件には、じーんと感動しました。 戦闘機操縦中のアクシデントには、あたかも私がそこに立ち会っているような錯覚さえ覚える程でした。死に物狂いで海に出ようとする姿勢には大げさと思うかもしれませんが手に汗握る感覚で、奇跡的な救助の御体験など映画のワンシーンのようでした。 後の比嘉さんとの出会いにもびっくりです。それも例年の自衛官募集の応募者数は600人だったのが、2000人という大地さんと比嘉さんの結晶だったんですね。感動です。 大地さんの歩まれた半生を綴ったお話で、自衛隊員の文武(訓練、試験)という過酷さをあらためて理解できました。国民の生命を護るという崇高な精神で殉職された方々にあらためて哀悼の誠を捧げます。 大地さんの学生時代から空自、領事、教師時代と読み進み、ご自身の赤裸々な葛藤には常に正直な方だと感銘しました。 以上、拙い感想文とします。貴重な本をありがとうございました。 追伸:御本は、私の知人に回していく予定です。 宮野 清治 拝
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